医師への相談内容_コンサータを飲んだ経過報告_230610

医師への相談内容と服薬の経過観察

⚫︎コンサータ初日

お昼頃、視界がいつもよりハッキリ明るい感じがしました。
晴れだから、ではなくてハッキリ明るさが見えてる感じ。
初めはプラシーボ効果かと思いました。

初日に劇的な変化はなく、
副作用として感じたものも軽い僅かな吐き気程度でした。

ただ、劇的ではないですが、
その日は14時から21時まで、友人とホームセンターに行き、友人とご飯を食べ、そしてまだ疲れ切ってないことに21時頃に後から気づきました。
これは奇跡的なことです。
僕にそんなことできるんだ、苦じゃないんだ、と驚きました。

土曜は友人と会っている間は躁状態でもないし、頭がヒートしている感覚もなく、
ただ自然と回る頭を動かしている感じだった

そして、友人と、彼のデザインと、
僕の困りについての話をしました。
発達障害の傾向があるらしい、と打ち明け、
でも、これは僕にとって暗い話でもないんだ、と話しました。

友人は、
あの急に途中でぼーっとするやつとか、急に興味なくした感じになるやつ?あれそうだったの?
そっか、薬飲んでそれが体に合うならそれはいいね、そんな感じでした。

そして、友達はその日、やはり一緒に仕事をしたい
とそう言ってくれました

普段の仕事すらこなせてない自分が
体力も能力も記憶力もない自分には追加で仕事なんてできないから、と、一緒に仕事をすることをずっとやんわりと断ってきました。

でも21時、僕はいまだに疲れていない自分を発見し、もしかしたらと思い、やりたい、とその日は初めて答えることができました。

僕は21時頃、彼自身が気づいてない彼のデザインとその感性にどれだけの価値があるのか、
それがどれだけ当たり前でないかを言葉で丁寧に説明しました。

目の前にある材料をもとに語り整理するのは得意だけれども、記憶ができないので一緒に見に行ったデザインやその手法を僕は全く思い出せなくて、
彼にもう一度教えてもらってからその話をしてます
毎回新鮮に知れていいじゃん、と笑って前向きに彼は言ってくれますが、僕は本当に困ってます。

知識も世界も広がらない感じがして、何をしても積み上がらないのにやる意味があるのか、と何事に対してもつい思ってしまいます。
前を向きたい気持ちはあるんですが、そんな体験ばかり積み重ねてきてしまっていて。
でも、表面上にできてない部分は現れないので人には理解されず、苦しいです。

また、コンサータが効いている時、頭痛もおさまりました。
低気圧でもない晴れの日にも頭が痛いことが多く不思議でしたが、脳内多動が原因で頭痛が起こることもありあるのでしょうか?

⚫︎困りについての再整理

僕は、できないわけじゃないよね?むしろできてる時はできてる。
やりたいことができない?そんなのやればいいじゃん。
考えすぎ。考えるのやめたら解決するよ、
とよく言われることがあって、
結局どうなりたいの?と言われると答えられなかったのでまとめてみました。

両親は僕の頭にかかっているモヤを気のせいだって僕を諭し続けてくれました、それは僕が前を向けるようにと思っての優しさです。

でも僕は、
どうして僕のつらさにみんな「気のせい」なんて残酷な言葉を投げかけてきたんだろう、と思ってきました。
コンサータを飲んで頭のモヤが晴れ、
そしてコンサータの効果が切れて頭のモヤが戻り、
「気のせい」なんかじゃなかったことだけはハッキリと分かりました。
初日だけでしたが、頭のモヤは無くなりました。

気のせいだという言葉は僕にとってはとても残酷で、
気のせいだという言葉を信じて努めたらテストや表面上は人よりもできてしまうことがあります。
そしたら「気のせい」であることが事実とされてしまうのがつらいです。
ほら!できたじゃん!国立大なんて行けるならなんでもできるよ!って。
悩んだり問題に目を向けてるから集中できてなくて仕事できないんだよ。
発達障害のフリをしている、そう言われたこともありひどくつらかったです。
なぜ頑張った成果である国立大の経歴によって、僕の困りが否定されなきゃいけないのでしょうか、そこ行けたんだからできないのおかしい、発達障害のフリをするな、って言われるのはあんまりです。

集中できない時やつい他のことが気になり何時間も調べてしまう時に、そんなのやらないと決めればやめられるの、発達障害のせいにして逃げないで、と言われたこともつらかったです。

それ以上何を望むの?それだけできたらもういいじゃん、理想高すぎ、そうも言われます。
傲慢かもしれませんが僕は今、今なら思えてしまいます、
僕に万全の状態でやらせてくれたならその国立大よりも難しいところにだって行ってやったよ、うつだったし頭が上手く整理つかないまま詰め込んだんだ、苦しかったんだって。
もっと上にとかもっと優秀になりたいわけじゃない、何しても余裕がなく苦しいんだ、って。
歯を食いしばるのをやめたら途端にミスが増えて人よりもできなくなって、それが怖くて緊張感が抜けないんです。
それを、ほーら!できたじゃん!って言われると苦しい。

両親にとってはそれが成功体験なんです。
仕事でも、うつとか障害とか考えない!考えない!やればできる!
その言葉を今でもかけてくれます。
僕はそれが苦しい。
うつにならなくても、頭をヒートさせなくても、生きれるようになりたい。
僕がほしいのは成功ではなく生活です。

送ってるよ?生活は、と人には言われるかもしれませんが、
僕は生活しているのではなく、日々生き延びているという感覚です。

記憶が引き出せないから、急に目の前に現れた情報を元にフル回転でいつも頭を動かし返答をしている感覚があります。そういう怖さがあります。
極端な話、一瞬ぼーっとした後に、あれ、なんでここにいるんだったっけ、と分からなくなる感覚がしばしばあります、頭を急いで動かし、後で思い出せはするのですが、
仕事で現場に来た時にそんなことがあり怖いです。事前に書いてるメモを見ればいいのですが、すっかり忘れてしまう感覚です。
先日は会社のミーティング中にそうなってしまい、
話を聞いてない、やる気がないと言われ信用を失い、プロジェクトを任せてもらえる話も無くなりました。
これは困りとしては認められないのでしょうか。

どんなに優秀な人間になったとしても、
余裕がなければ僕は自信を持てないと思います。
その国立大なんて僕の高校の頃の成績では到底狙えない大学だったし担任の先生も無理だと思ってたけど結果を覆し合格しました。でも、僕の自信にはあまり繋がりません。
どの先生も受かると思ってなかったところに受かっても、自信につながっていないのはそれが理由なのかな、と。思います。

希望が持てたコンサータを飲んだ初日の翌日、コンサータの効きが途端にわるくなり、副作用も全く感じなくなりました。
2日目は、確かに気づけば、いつも視力はわるくないのに視界の端がぼやけてましたがそれは無くなってて、頭痛もすこし和らぎ、買い物かごにも必要なものが全て入ってて、暑いしゼリーでも食べたいなー、友だちくるからつまみでも軽く買うか、と自然と自分の食べたいものや楽しみのものに手を出す余裕はありました。

けれど、昨日と比べるとやはり疲れや頭のモヤは感じて、自分には効かなかったのかとかなり落ち込みました。
けれど、もしまだ量を調整することで可能性があるならば、副作用はあまり感じていないので試してみたいです。

歯を食いしばり人より異常な準備と文字で整理をすれば人よりもできる自信は既にあります。
僕が積んでいきたい経験は、余裕を持って日々必要なことをこなし、時間や体力が残っているという日々です
3ヶ月に一度くらいはそういう日が1日だけならあります。
頑張れ!頑張れ!と言われますが、歯を食いしばり自分を殺す気で頑張ったら出来ることはもう経験してます、そして苦痛です。

やることを1つだけに絞り他の情報をシャットアウトし無心で取り組めば人より出来ることも知っています。試験勉強が特にそれです。

でもその日々は辛く、後々の記憶にも残らないため経験にもならないのが虚しくて。
両親はそれが僕がした数少ない成功体験なので、
それを積み重ねることが僕の自信に繋がると考えています。
僕にとってはそれは自信には繋がらないのです、親にそれをどう伝えたらいいかも分からず。
僕がほしいのは成功ではなく生活、そのための余裕なんです。

また、3日目以降は会社で仕事でしたが、
午前中から眠気がつよくコーヒーをまた沢山飲んでます、でも眠いです。
普段は前日は23時に寝て、6時半に起きてます。
食事もサプリも摂り、栄養にも気をつけてるつもりです。
飲まない時よりは会話することへの負担は減った感じがありますが、作業の集中力は眠気もあるからか、特に変化ありません。
これ以上僕に出来る眠気対策も見当たりません。

⚫︎困りと相談
変な感覚ですが、
記憶の残りづらい僕は、昨日の自分と今の自分の繋がりをそんなに感じません。
だから、今までの僕が沢山いるような感覚があります。

僕が今まで死なないで来れたのは
今まで死なずに楽しさも喜びもないのに次に繋げようと努め続けてくれた僕たちが沢山いて、彼らに申し訳が立たないから、そういう感覚です。

その感覚に救われてもきました。
物事の理解の仕方も勉強の仕方も恐らく人と違い、
自己認識の仕方にも違いがあるな、と最近気づきました。
僕の人とのズレってこういう細かなところからも生まれてるんだろうな、と

それはでも、もういいのです。

もう人とのズレは構いません。
僕が何かをやりたいと思えるだけの余裕と、やりたいことをやってすぐ疲れないだけの集中力と眠けのなさ、
それさえあれば人と上手く関わらなくとも諦められます。
変な僕を理解してくれる数少ない友人たちの時間を楽しめる余裕さえもらえたならそれだけで信じられないくらいの幸せです。
コンサータ初日は本当に幸せでした、
僕が友人とのお喋りを楽しんでいる、こんな奇跡がありうるんだ、って。

また、もし記憶が断絶されなければ、
今までの自分と僕は繋がるんじゃないかな。
それはコンサータではなくストラテラでなされるんじゃないかな、
そんなことも期待はしています。
コンサートが切れた後や朝の頭の重い感じが解消される可能性があるならば、
ストラテラの併用も可能なら考えていきたいです。

やれることは何でもやります。
だからせめて、僕に断絶されない記憶力と、体力をください、と漠然とした何かに願ってしまいます。
コンサータに過剰なブーストみたいなものは求めません。
1つ体験したものを1つと感じられる体と脳に整えることぐらい、それだけでもいいからと願っております。
僕が高校の頃から漠然と神さまに願ってきたことはそういうことだと思います。
※特定の宗教は信じておらず、漠然と大きなものに願う感じです。

高校生の時に僕は信じてもない神さまにずっと祈ってました
遊びも楽しみも全て捨てるから、
僕に勉強をやる力をほんの少しでもください、って

覚えられないなら覚えなくても解ける問題は絶対に間違えない、そうやって僕は諦めないできたつもりです。
僕は地頭はわるくはないですが、あまりよくもないです。天才ではないです。記憶力もないです。
ただ、人よりも死ぬ気で、自分を殺す気で高校の時は勉強していたんです。
それは「頑張り屋」とかではありません。
本当に必死でした。
親は知りませんが、大学に落ちたら死ぬつもりでした。

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