2023-08

かめたのコツコツ発達日記

230417_感情のタグ付けトレーニングをはじめる(発達障害診断前)

最近、自分の感情にタグ付けするトレーニングをしてみることにしている。 それが意味があるか分からないけど、失感情症のを改善させるために、 カウンセラーさんと相談して決めた行うことにしたトレーニング。 「僕は、自分の気持ちが分からず、自分のやりたいことも分からず、 人を好きだとかイヤだとか思う気持ちも分からず、 周りの人から歩み寄ってくれても何もできず、やがて孤立する。 そんなことを繰り返してきてしまっている だから、人に会う機会増やしても人との関係は深まらず、 そもそもの失感情症をどうにかしないと明らかに意味がない。」 そう、カウンセラーさんには相談をしていた。 定型の人に、自分の感情が掴めずうまく話せない話をすると、 〜くん普通だよー、とか、 勇気出して話しかけてみたらいいんじゃない! と、言ってくれる。 けれど、そもそも自分の中に言葉が見つからない感覚だから、 必要なのは、勇気とかじゃあない。 なのに僕も共有したいし寂しさはある。 感情はないはずなのに寂しさはある そう困りを伝えるとカウンセラーさんは、 「失感情症を抱えているといっても、 感情がないわけではなく、刺激は受けているので、 今日一日の出来事を振り返り、自分の感じてることを内省して感情にその感情にタグ付けをしていこう、 人は言葉はに当てはめることで認識ができるから、感情も振り返り名前をつけ直してあげることで改善に向かうかもしれない」 とそう言ってくれた。 そう言われて振り返ってみると 僕はその場では自分の感情に気がつかないが、後から遅れて感情がやってくる ことは多いことに気がついた。 例えば、人に悪口を言われた時に、その場では、ふーんとしか思わないけれど、 後々から腹が立ってくる、そんなことがよくあることに気がついた。 でも、あえて自分の感情について振り返る習慣なんて今まではなかったし、 だから自分の感情に気がつけるタイミングなんてそうなかった。 感情は学習である。 学習であるあるのなら、僕にも学べる可能性はある。 そう思うとまだ救いはあると感じることができる。 いいなーと思ってる子と話をしていても、その場で感想を言ったりすることが難しい。 その子が、せっかく月曜日には飲み会があるのに会社で残業しなきゃいけなくなったー、 という話をしてくれても、 飲み会に行きたいという、やりたいことがあるのがすごいな、 そちらにどうしても気がいってしまう。 みんな、やりたいことを我慢して、 やらなきゃいけないことをやってるんだな、と知ったりもした。 僕は、やりたいことが自分で分からないから、 やらなきゃいけないことしかやることがない。 無報酬でただ頑張らなきゃいけないことしか人生にないし、 人並み以上に頑張らないと人並みにもなれない。 その子の話の中身に関心を向け共感ができるようになるために、 僕も色んな経験を積みたいし、 そのためにもまずは失感情症をどうにかしなきゃ、とただひたすらに思った。
かめたのコツコツ発達日記

230415_twitter開設し失感情症に取り組みはじめる(発達障害診断前)

中高生の頃から言葉を発することができず、社会人になりうつの発症と転職を繰り返していた。 自分は自分の感情ややりたいことに気づくことが難しく、 それにより言葉を発することへの難しさがあるのでは、と気づくようになり困りに取り組むことを決めました。 発達障害には治療が一切ないからと諦めない人と繋がりたい。 そう思いtwitterをはじめることにしました。 (実際には服薬により生活の補助を医療から受けることは可能です。) まずは失感情症(自分の感情に気づきづらくなる障害、アレキシサイミアとも呼ばれる)を改善させることに決めました。 僕が失感情症に気がついた一番のきっかけは、 人を好きになったことがきっかけでした。 ある人を好きになり、食事に行くようになり、 その人が話してくれるエピソードがとても豊かで、 学生の時にはこんなことをしたんだ、 会社でこんなことがあってこんな思いをしたんだ、 そんな話を聞くうちに、 あれ?僕は学生の頃には学校に行くだけでヘトヘトに疲れ帰宅する半引きこもりの生活をしていたから、 そんなに色々な経験をしてはいないな。 そんなことを振り返る場面が何度も何度も出てきた。 そして、漫画や映画でしかあり得ないような、 「学生生活」と呼ばれるものを、実際に経験している人がいるのだと、 心底驚いた、というよりも、恐ろしく思った。 僕が、年齢不相応の経験の積み重ねしかできていないことに、気がつきはじめた瞬間だったから。 でも、だからこそ僕は、変わりたい、とつよく思うようになった。 失感情症を改善させたいなー、という漠然とした思いが、 なんとか僕の好きになった子が僕に愛想をつかしてしまわぬうちに、 なんとか自分の感情を掴めるようになりたい、頭のモヤを晴らしたい、 そう切実に、つよく思うようになった。 僕が、 自分が年齢不相応の経験や知識しかないことに気がついたことも、 自分の失感情症の改善や頭のモヤを晴らすことを切迫とした問題と捉えられたことも、 人を好きになったことがきっかけだったのだと思う。
会社での試行錯誤の記録

230730_休む技術を獲得しました。

休む技術を獲得しました。 こう聞くと、 休むことに技術なんかない、ごろごろしたり、友だちとご飯に行ったり、 好きに休んだり気分転換すればいいだけでしょ? とそう思う人もいると思う。 ただ、ASDを抱える僕には休むということは非常に難しい。 なぜ難しいのかというと、 休む、という言葉は漠然としていて、 どのタイミングで何をどうしたら休んだことになるのか分からず、 具体的に何をしたらいいかが分からないからだ。 このことに気づいたのは、 同じくADHDとASDを抱える友人に休み方について相談してる時だった。 僕は友人に、 いざ体だと脳を休めてみようと思い、 土日に何も予定もいれずごろごろしてみようとしたが、 午前中にはごろごろすることに飽きて、 何もしていないことに罪悪感を抱き午後に無駄に日夜品の買い物に行き、何もしていないことに罪悪感を覚え、結局疲れてしまった、 という話をした。 そうしたら友人は、 休むことはそんな簡単なことじゃあないよ、 休むには「準備」と「覚悟」が必要だから、 と僕にそう教えてくれた。 休むという柔らかな言葉に、 「覚悟」という言葉を敢えてつかう友人は初めは100%冗談を言っているのかと思っていたけれど、 後にこれがあながち冗談でないことを後に知った。 友人は、僕が休むことに失敗した原因を教えてくれた。 まず、ASDを抱えている僕にとって、 休むことはなぜ簡単なことではないのか、 その原因を僕に教えてくれた。 まず、休むのがなぜ難しいのかというと、 休み方は人それぞれ、そして時と場合により異なるので、 どのタイミングで何をしたらいいか、 自分で分かっていないことが大きな一因としてあると思う。 それを聞き、僕はとても腑に落ちた。 休むということは、何もしないことだと思っていたけれど、 何もしない、ということをする、ということは実際にはできないから、 とりあえず布団に横になってみて、楽しくもないし、疲れが取れてる感覚もないから、 何やってんだろ自分、て思いはじめて、 起き上がって無駄に有意義らしいことをしたくなってしまう。 そうすると、休むことはあまり上手くいかなくなる。 そこで、休むにはどうしたらいいか、 友人にアドバイスをもらった。 そうして友人からもらった言葉が、 休むには「準備」と「覚悟」が必要である、 という簡潔で明快な言葉である。 休むにはまず、「準備」をすることが重要である。 休むという言葉が曖昧で、何をしたらいいのか分からないのなら、 逆に言えば、 どのタイミングで何をしたらいいか、 具体的に事前に決めておくことで、 休み方を具体的に決めておくことが必要である。 例えば、体と脳を休めたいのなら、 部屋の冷房を聴かせてベッドの上でごろごろする、と決める。 そして眠気が来たら目を瞑り眠る。 暇を感じたり飽きたりしてしまった時は、 外に出るのではなく予め買っておいた漫画を読むと決めておく。 そうすることで、 僕は休むと決めて休んでるんだ、と感じ、 何もしていない、という罪悪感を感じないで済む。  このように、休むためにやることを具体的に決めて「準備」をしておくが必要である また、 お腹が空いたりお菓子やジュースが飲みたくなった時に外に出てしまいたくなる時がある。 もちろんそれが気分転換になるのならば有りだけど、 ついごろごろすることの罪悪感を拭うために無駄につくった用事なのであれば、 せっかくの休みの質が下がってしまう。 だから、疲れが溜まり一日ごろごろしよう、そう決めた日の前日までには、 コンビニやスーパーでお弁当や、お菓子やジュースを買い込み冷蔵庫に入れて食糧を準備しておく。 そうすることで、 つい外に出て用事を生み出し休むことを止めてしまうことを避けることができる。 つまり、 ・休みの日に何をするかを具体的に決めておく ・食料とお菓子とジュースなど嗜好品を休む日の分だけ買い込んでおく この2つの「準備」を前日までに行っておけば、 僕は休むことができるようになる、ことが分かってきた。 休むには必要な2つ目は、休む「覚悟」を決めることである。 これはとてもシンプルなことで、 休むことに慣れていない人は、ベッドの上でごろごろしている時につい、 ちょっと用事を作って出掛けてみようかな、 そう考えてしまうことがある。 そして用事をつくり出掛けてしまえば、 休むとはできなくなってしまうことが僕の場合は多い。 そこで必要になるのが休む「覚悟」になる。 僕は今、何もせずダラダラとしてベットに寝転んでいるわけではない。 休むために、休むことを決めてベットに寝転んでいるんだ、何もしていないわけではないんだ、 中途半端に外出したら休めなくなる、だから僕は休むんだ、と「覚悟」を決めて休むために前日すると決めたことを行なう。 もちろん、徹底しすぎる必要はないし、したくなったことがあったらすればいいんだけれど、 休みなれてない人はこの、体を休めるためにベットでごろごろする、ことが難しい場合がある。 そういう僕のような人にはこの「覚悟」が必要になってくる。 僕は上記のように、 休む、際にする作業を具体化して記述することで、休むことができるようになり、 慣れてくると休む予定を事前に入れなくても、 ごろごろとできるようになってきている。 大したことがないようなんだけれど、 ASDを抱え、休むことができない人は上記の「準備」と「覚悟」を是非試してみてほしい。 一度、休むためのやり方と感覚を覚えたら、 どんどんと休めるようになってきたので。 休むのが苦手な人が、 休む技術を獲得するきっかけになれたらいいな、と思います。
会社での試行錯誤の記録

230727_29歳から経験を積み重ねることの困難。その②

29歳から経験を積み重ねていくことの困難は、 もちろん社内だけに生じるものではない。 会社の外に行く時、さらに困難を感じる。 デザイン関係の仕事をしている僕は、 1つのプロジェクトで多種の業者と関わることになる。 そして、記憶がもたず、脳内多動により失敗を重ね鬱にもなってここまできた僕は、 その業者の方々が持つ知識のほとんどを知らない。 その全ての知識を知り、まとめるのが僕の仕事の大きなことの1つなのに、僕はまるで知らない。 そして僕がまるで知らないことを、 各業者の方々はもちろん知らない。 知らないけれど、打合せを重ねる度に、 あれ?彼は年齢の割に経験がないぞ? とそう気づいてくる。 そう気づかれていることに僕も気づいてくる。 僕がもしプライドというものをまだ持っていたのなら、 ここで折れてしまっていたと思う。 けれど、僕は今、 人よりもできない人間であることを既に知っている。 みんなが僕の知識のなさに驚こうとも、 僕は僕の知識のなさを予め知っている。 だから僕はもちろん驚かない。 もちろん驚かないだけでなく、対処法も考えるので、 知識がなくてもなんとか場が進む方法の方を身につけることにしている。 知ったかぶりはしない。 知ったかぶりはせずに、どの業界にでも通じる質問を用意しておく。 例えば、 ある業界の専門分野のことを僕が理解しておらずとも、 いま、どんなことを検討しているのか。 どんな案がありうるのか。 その案それぞれのメリットとデメリットは何か。 その質問はどの業者が相手でも通じるし、それさえ理解できたら、 僕は社内に持ち帰り報告をすることができる。 とても便利な質問だと思う。 そして、 相手の時間もとってしまうし、 あまりに知識がないと思われたら信用も失うので一から質問するわけではなく、 この部分はこういうことだと思うけれど、他に案はありますか? こうすることでこういう問題が起きると思うが、他に考えられる問題やメリットなどあるか? と、自分の知ってる数少ない知識も中に入れて聞くようにする。 知ったかぶりをせず、聞く姿勢を見せ続けることで、中にはその姿勢を認めてくれる人が出てくる。 そうしてひたむきさを見せ続けることが、 僕が先輩や関係業社の人と仕事を一緒にして、教えてもらうために必要なことなんだと思う。 こうすることで、なんとか経験を積み始めることができた感覚がある。 愛嬌とひたむきさを周囲に見せていくこと。 これが僕がいま、働きやすい環境づくりのために試してみていること。 幸い僕の業界は、つらい環境であるため若手はすぐに辞める。 関わる仕事先の関係者は4,50代で、 彼らからみたら22歳も29歳もどちらもペーペー。 それにはすこし救われてもいる。 経験のなさを呆れられても、バカにされても、 諦めないでその場でやれることをその場でやる。 その姿勢を見せ続けること以外に、僕にやれることはない。 だからやる。
会社での試行錯誤の記録

230727_29歳から経験を積み重ねることの困難_その①

僕は29歳でADHDを診断された。 それまでは脳内多動により、 思考がまとまらず、記憶の整理もできず、 仕事もできない、経験も積み重ならない時期を過ごしてきた。 今、服薬をして脳内多動は和らぎ、 仕事の作業がすこしずつでき始め、 経験も僅かながら積み重ねはじめている感覚がある。 だけれども、 社会人になって6年目の僕は、 新卒の人並みの経験のなさから今をはじめている。 そのことの困難をとても感じている。 職場にいる経歴5年目の先輩は、僕より1つ年下で、 そしてとても仕事ができる。 僕は仕事を覚えはじめて2ヶ月目。 この差はとても大きい。 プライドなんてもっていたら、 とてもじゃないけど働き続けられない。 だから、 不愛想で不器用な僕は 愛嬌とひたむきな姿勢を意識して見せていく必要がある ASDを抱え無意識にコミュニケーションを学べない僕は、 愛嬌とは何か、具体的にどうすることで愛嬌を見せたことになるのか、それを考え言葉で整理することがまず必要になる。 愛嬌も、場面により異なってくるけれど、 男同士の会話における愛嬌は、 プロレスにとても似てるとだと思う。 男同士の会話の多くの割合を占める、 いじるいじられるのコミュニケーションは ・相手のいじりを受けてダメージをくらうリアクションをしっかりとする ・だけど、心からのダメージは受けてないよ、ということも表現する この2つが大事で、 前者がないと、 プライドが高く面白みもないとみなされ、 後者がないと、 弱い人間だとみなされ評価が下がる 相手の技をしっかりと受け切り、 そしてリアクションもしつつも立ち上がる、 まさにプロレスみたいだと思う。 今日も社長がアニキ先輩に、 たまに現場について行ってやれよ、抜き打ちで行って現場とコイツに喝を入れてやってよ、 と笑いながら言ってきたので、 男同士のつつき合うコミュニケーションだと最近理解した僕は、 きてくださる安心感と緊張が同時にきてめっちゃ複雑です! としっかり受けつつ笑って答えた。 以前の僕なら、 ただひたすらに顔を強張らせて、 それを見て相手の顔も強張らせてしまっていたと思う。 これはまあ成長だろう。 ASDを抱える僕は意識しないとコミュニケーションを学べない。