子どもの頃から緘黙症があり、
小学5年生の頃からうつ病になり、
楽しいことなんて1つもなくとも全力で死ぬ気で努力する、
と努め続けて、
うつ病なって仕事辞めて寛解して、
うつ病なって仕事辞めて寛解して、
うつ病なって仕事辞めて再就職中。
やってきたことが、何かが違うと流石に確信した。
僕にとって、発達障害を受け入れる、
ことは現状を受け入れ「何もしない」ことではきっとない。
だって、僕は今つらい。
つらいのが僕の人生だから、なんて受け入れ方はつらい。
希望を持ちたい。
人と違うってことを受け入れて、
僕は何が得意で何が苦手かを整理して、
取り組み直して前向きにいきたい。
そう思い、まずは失感情症を改善するため、
感情のタグ付けをはじめ感情を読み取れる場面がでてきた
すこしだけれど、成果がでてきた。
今日、僕は楽しかった。
1日の出来事を思い出す時に、
この書き出しからはじめられることは僕にとっては普通じゃない。
涙が出るくらい嬉しいこと。
今日、僕は楽しかった。
会社の人が話しかけてくれて、
冗談を返したら笑ってくれて、
また話しかけてくれた。
僕にとっては、これは当たり前じゃのことじゃあない。
帰り道に新人さんが話しかけてくれた。
「早めに帰れて嬉しそうですね!」
「こーんな、嬉しいことはないね」
と、僕はすこし大げさに答えた。
そして帰り道には、時間があるからとスーパーに寄って、
クリームシチューが飲みたくなり材料を買ったりもした。
新じゃがを見つけてワクワクしてカゴに入れたりなんかして、
お、僕は今、ワクワクとしているな、なんて思ったりもした。
自分の感情を自分で感じ取りやすく、
そして頭がすっきりとしている時には、
どういうわけか、疲れづらさもすこし減るように思う。
受動型ASDを抱えつつ29年間生きてきて、
死ぬ思いして間違った努力を続けてきて
ようやく足りなかった1ピースが見つかってきた感じがしている。
失感情症は性格特性だし、
僕は記憶力もなく、1日にあったこともすぐに忘れるけれど、
今日会ったことを思い返し、感情のタグをつけてあげて、
それを繰り返していくことで、時間はかかってもきっと感情は学べる。
僕は人が近寄って来てくれても信用できず、
いつ、こいつは何か違う、ってバレて切られてしまうんだろう、
いっそ今切ってください、切らないなら僕から離れます、
そう考えてしまい、人と関わりを持てないでいた。
発達障害の傾向が僕にあると受け入れた今、
その時の自分の心境がすこし理解できたように思う。
僕は記憶力がない。
正確には言えば、きっかけがあれば思い出せることが多いようだから、
記憶はできても引き出すのが難しい。
1日にあった出来事も毎日忘れ、
何回会っても初めましての感覚が抜けず、
どれだけ周りが近寄ってくれても、
僕だけが親しみを持てないやつのまま、
周りがいつか僕と関わりを持つことを諦める。
切られたんじゃなくて、諦められただけ。
そんなことを繰り返してきている。
相手がわるい人間でいじわるをしているわけではないし、
僕の主体性が足りないことが原因だった。
そして僕の努力不足というわけでもない。
みんなは以前から僕に話しかけてくれていて、
僕がそれを避けていた。
だから、僕は悪事を積極的にしてなくても、人に嫌われてきた。
今日は楽しいし感情が近い。
それは、当たり前のことじゃあない。
大げさな表現でもなく、奇跡に近い何かだな、と思う。
僕はこれから、
毎晩、起こった出来事をその時の感情とともに記録する。
毎朝、昨日記録した出来事とその時の感情を読み返す。
それは手間だし一生続けないといけないのかもだから、
「寛解」とは違うかもしれない。
けれど、僕は「大変」で「手間」であっても、
「楽しい」を感じれる人生を生きたい。
僕は、そう生きたい。
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