230427_受動型ASDの傾向のつよい僕は利用され、いじめられやすい。以前勤めていた会社にて②

かめたのコツコツ発達日記

緘黙症と失感情症を抱えていた僕は、職場で孤立をしており、
同じチームの先輩からも、好かれてはいなかった。

コロナ下で学生アルバイトの方がいなかったから、
というのも合わさり、僕は努めてから1年半、安月給の長時間労働で、アルバイトの方が普段行っている業務をする、という状況にいた。
経験すら、積むことができない状態が続いていた。

そのままではいけないと、朝は出社時間の1時間前に来てCGソフトの練習を行い、
土日にも出社をして、仕事を前倒しで終わらせて(前倒せばその分仕事がまた来るとも知らずに、、、)、自分でデザインを積極的につくり、来るべきプレゼンに向けて密かに準備をしていた。
自分なりに努めてはいた。

ただ、僕が考えたデザインを発表する機会は、与えられることはなかった。

僕はとても悔しくて、そんなはずはない、
僕のデザインはクライアントの希望も満たしつつ、
会社のデザイン方針にもあっているものだとその時はつよく信じていたから、
会社の共有テーブルの上で、土日をつかい僕はデザインの模型を、毎週末、つくり続けた。

次の日、社長が僕のチームのリーダーを呼び出した。
社長が僕の机に置いておいたデザインを目にして、
そのデザインをとても気に入り、この方針でいこう!
と、そういう話をしはじめたのだ。

社長は僕の作ったデザインを大きな声で褒めはじめて、
「これしかないよ、問題を整理したら確かにこの形に行き着く、なるほどなるほど。
僕が担当として考えたらもっと早くこのデザインにたどり着いただろうなー笑」
とそう冗談混じりでご機嫌に話をした。

このデザイン、君がやったんだろ?
社長は僕のチームのリーダーに聞いた。

僕のチームのリーダーは言った、
「はい、僕のデザインです。」

僕はとても驚き、そして緘黙症を抱え、味方もいなかった僕は、
いいえ、それは僕のデザインです!
と主張することはできなかった。

人とロクに関わらずに生きてきて性善説をいたく信じていたから、
先輩は先輩できっと何か意図があって、
それであえて、僕のデザインを、先輩のデザインであるかのように話したのだろう、
そう、なぜか信じてしまっていた。
それが、僕が騙され利用されやすかった理由だったのかもしれないな。

社長が事務所から去ったあと、
チームリーダーは僕に言った。

「おい、ふざけるなよ。なんで勝手に社長に見せたんだ?」

僕は、
「社長に見せたりはしていません、僕は土日にデザインの試作品を作っていただけです。そのテーブルの上の試作品を社長が通りかかって見ただけで。」

「あ、そう。とりあえずもういいわ、後おれがやるから。お前のせいでクソみたいなデザインでやらないといけないことになった。」

そう、先輩は言った。

でも、そのデザインは、後々クライアントが見たらとても喜んでくれて、
社長も、まさに問題を整理したらたどり着く形、僕がやってもそうなっただろう、と言ったから会社のデザイン方針にも合っていて、
僕は仕事として大きな誤ったことはしていない、
ただ、先輩のプライドを傷つけてしまった、それだけが問題で。

今思えばだけれど、社長だって先輩だって、そのプロジェクトのデザイン検討には苦戦をしていて、
かなり停滞していたし、クライアントのプレゼン日が迫っていたし、その時の僕はまだデザインについてのつよいこだわりを持てていたから、
いいな、と思えるものではないものは出すべきではない、とそう考えて、毎週末、休まずにデザイン検討をしていた。
誠実な仕事をしていたのではないか、とそう思う。

ただ、失感情症を抱え自分の感情も掴めず、
緘黙症もあった僕は、
会社では僕がやった作業を人がやった成果にされ
自分はその間、また何もしてなかったことになり、
理不尽に社長にまた怒られて何も説明することができず、
すみません、と一言だけがようやく声が出た。

僕のつくったデザインが評価されて、
でもそれは人が作ったことになっていて、
それなのにその人は僕のデザインをクソだって僕に言って、自分は社長とクライアントからの評価だけもらって。

今ならちゃんと、怒りを感じれる。
僕は僕のデザインが好きだったし、今でもいいと思う。
合理的で無駄のない、いいデザインだったと思う。

あの時その場でちゃんと怒りを感じれてたら、
僕は僕と僕のつくったものを守れていたように思う。
それでも、後から振り返れば、、、
じゃあ、いつだって間に合ったりはしないんだよな。

僕は僕を守るために僕をもっと僕を知りたい。
僕は僕を守るために僕をもっと感じるようになりたい。

そして、生きる上では主張することも仲間をつくることも、僕には重要。
そのことを、僕は以前の会社で学んだ。

そして、もうひとつ、
大人数の職場では、
会社から評価をもらうためには、
上司に好かれないといけないことを学んだ。
いい仕事をすれば、会社から評価をもらえるわけではなく、
上司に好かれ、僕が評価を受けることが上司にとってもメリットがある状態になり、
初めて評価をもらえる、ということを学んだ。

そして、そんな器用でもない僕は、
次の職場では、社長が直接僕の仕事ぶりを見てくれるような、
小さな事務所で働くことを決めた。

それが、今僕が働いている職場。

緘黙症は和らぎはしたけれど、相変わらずうまく話せたりはしない。
けれど、うまく話せはしなくても、直接仕事を見てもらえる分、
以前よりは評価をもらえている、気がする。

つらくても、続けることで、
すこしずつ自分に合っている職場にたどり着けているのかも、しれない。

苦しい思いをして生き続けてきて、
その今までの何もかもが無駄だったなんて、
そんなことはないよな。そう信じたい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました