230916_僕の考える、発達障害の受容とその先について

かめたのコツコツ発達日記

発達障害と診断された時
僕のできないには理由があったんだ、
と安心したのを覚えている。

それから服薬もして、生活のしやすいように工夫もして、
それでもどうしてもできるようにならないことに向きあい、
自分には限界があるのだと落ち込んだ。

ここまでが発達障害の需要、今まではそう考えていた。

発達障害の受容には、きっとまだ先がある。

発達障害の診断をもらい、できない自分を許し、
医療の補助を借りて特性を和らげ、できる限りをできるようにして、
そこから、きっとまだ先がある。

僕は今、その段階にいるのだと思う。

休日の朝に起きることができるようになり、
活動時間が伸びてきて、思う。

僕は僕の発達障害を受け入れている。
けれど、僕は僕の「できる」を諦めてはいない。

これから先、僕は僕なりの「できる」ところを探し、活かしていく段階に移るのだと思う。
それには、僕は僕のASDと向き合うことが必須となる。

直接的な困りだった、ADHD由来の脳内多動は、薬が抑えてくれた。
生活は、ぐんとしやすくなった。

それでも、対応する薬の無いASDの特性は必ず残る。
それに落胆していたこともあった。

うつ病と診断されながらも歯を食いしばり大学受験を続けられたのも、
大学に入りうつが悪化し精神科に入院し留年しつつも大学を卒業できたのも、
以前に入った会社がブラックで平日は週2日徹夜で土日も勤務有りでも耐えられたのも、
それでも僕が生き続けられたのは、
生きるための粘りつよさをくれたのは、
きっと僕のASDなのだと思っている。

粘りづよさ、ルーティンを守ることの心地よさ。
ASDがくれているものも必ずあるから、
僕は僕の活かせるものは活かしていこうと思う。

発達障害と診断され、自らを許し、
服薬し改善しつつも、何かを諦め、
僕はようやく僕の得意に向き合う段階にきた。

自らを発達障害を受容することは、
決して「諦める」ことだけではない、
そう、僕は思いたい。

そう、いつか思えるように、
今はつらくてもすこしの無理をして前を向く。

僕は幸せになりたいから。
発達障害を理由に、諦めたくなんてないから。

余裕のある毎日を過ごせる僕に、いつかなれる。
その「いつか」を信じて諦めない。
前向きに、具体的に、僕は動く。

僕は僕の発達障害を活かしたい。
振り回されっぱなしじゃ割にあわないもの。

まだ、諦めない。

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