LINEの着信の音で、目が覚めた。
ぼんやりとしたままスマホを開くと、
アニキ先輩の名前が画面に写った。
時計をチラッと見ると、始業時間から30分ほどすぎた頃だった。
ああ、昨晩は4時まで寝つけなかったから、
朝起きれなかったんだな、とだけ思い、不思議と焦ることができなかった。
一年半勤めてきて、初めての遅刻だ。
僕には予定に遅れやすい特性があるから、
いつもギリギリ間に合う電車の3本前には乗っているのに。
ああー、寝坊で遅刻なんてしたことなかったのになー、
とそれだけ思い、なんだか、もうどうなってもいいや、
という自暴自棄な気持ちにもなっていたのだと思う。
そして、そんな気持ちになりつつも、
着替えを済ませ、お餅をレンジでチンして朝ごはんを食べて、服薬もして、出勤の準備をはじめた。
もう後は寝癖をどうにかするだけ、時間は朝の9時50分。始業時間から50分も過ぎている。
うん、どうしようかな。職場、行こうかな。と回らない頭で考えていると、
またアニキ先輩から電話が来た。
ああ、そうだ、何にしても電話をまずアニキ先輩に返さなきゃ、
と思って電話に出ると、廊下の方からも、同時に声が聞こえてきた。
廊下で人が話しているとその会話は全て聞こえてくる、
それぐらいに僕の住むアパートの壁は、薄い。
電話の声と、外から聞こえてくる声が、時間差で一致してきた。
アニキ先輩の声で
「かめた君、何号室いる?」
とそうはっきりと聞こえて、僕は状況をすぐに理解して、
ぼーっとしていた頭が急に回りはじめて、
散らかっている部屋を片付ける余裕なんて当然ないから、僕は急いで玄関扉を開けた。
「大丈夫?どうかした?服を着たままて寝ちゃったの?」
扉を開けるとそこにはアニキ先輩がいて、開口一番心配をしてくれた。
僕は、また迷惑をかけてしまった、と思い、
「すみません、朝起きれなくて。なんとか着替えてたら電話に出るのを忘れてしまって遅れてしまい。」
と返すと、
「寝れなかったのか。それならよかった、とにかく外いるから支度してきなよ。」
そう言ってくれたから、急いで髪を水で流し髭を剃り、身支度をして鞄を持ち、すぐに玄関を出た。
先輩は、寝坊をした僕を、どうしてか怒らなかった。
会社に向かう途中も、寡黙な僕に先輩は話し続けてくれていて、
「実はさ、ちょうど睡眠剤をもらったって聞いたから、大量に飲んでたりしないか、心配していたんだよ。」
とそう言ってくれて、あ、それでわざわざ来てくださったのか、
ODをしているのではないかと心配させてしまったのか、と理由が分かり、
「すみません、ありがとうございます。僕は、薬を大量に飲むとかはしないタイプなので大丈夫なんです。」
とすこし訳の分からぬ返しをしたら、
「そんなタイプかどうかなんて分かんないじゃん!笑
と笑ってくれて、
「確かにそうですよね。笑薬大量に飲まないタイプです、なんて自己紹介してないですもんね。笑」
とすこし冗談混じりに返したら、ほんとだよ笑、と笑ってくれた。
会社に着く間際、アニキ先輩は、
「引き継ぎは今週で完了させよう。それで、会社のLINEとかメールとか、一時解除した方がいいよ。しっかり休むのに、会社のことを考えてしまったら、勿体ないじゃん。俺から社長には既にそのことについて話してるからさ。」
そんな風に、言ってくれた。
こんな、カッコよくて優しい人、現実世界にいるの???
どんな人間にでも優しくあれる人って、本当にすごいな。
驚きつつ、そう思った。
そして会社に着き回らない頭のままなんとか作業をしていたら、
アニキ先輩が、
「その作業もつらそうだね。
そしたら、引き継ぎのためのリストだけつくってもらおうかな。
作業を進めてもミスを生んでしまうかもしれないし、
休む前に負担のあることをするのもよくないし、
しっかりと休むためにも、引き継ぎに専念しよう。」
とそう言ってくれた。
僕は引継ぎのための作業だけに、専念することになった。
いつか、必ず返したいな、この恩を。
今は、人のために、という余裕がないのだけれど、
アニキ先輩に受けた恩は、何かしらの形で返したい。
僕がその恩を返す時、無理しないでいいのに、
とそうアニキ先輩に思わせないためにも、
今は体を休めよう。余裕と猶予を自分にあげよう。
人が僕のことを思ってくださっている。
そんな経験は、会社に限らず、生きていて、今まで感じることができていなかった。
失感情症で、離人症で、緘黙症を抱えていた僕は、
まるで透明人間みたいで、人の視界に僕が入っているとは一切思ってこなかった。
また、すこしうつ症状が出てきてる。
仕事の作業もまるでできなくなってきている。
それでも、
人の視界に僕は写っている。
人の人生に僕は関わってる。
そんな風にすこし思えただけで、大きな前進ではあると思う。
また、仕事は続けられなかったけど、
何もかもが失敗の繰り返し、というわけではない。
何もかもが無意味、というわけではない。
得ているものもあるし、進んでもいる。
そう思えただけで、大きな進歩だ。
本当に、僕は人に恵まれている。
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