発達障害を抱えている人が無理に社会に適応しようとすること、
過剰適応しようとすることを、
「擬態」ってよく言うみたいだけれど、
いつかこの言葉は使われなくなったらいいな。
得意不得意の差が激しく、確かに生きづらいというだけで、
障害のない人たちと違う生き物ってわけではないし、障害があることを隠してもいない。
僕の今の生き方の、どの辺が「擬態」なのだろうか、と思う。
僕は他の生き物に姿を似せようとしてなんかいない。
自分自身に「擬態」という言葉を使うのならば問題はないと思うけれど、
あなたは擬態しているから疲れるんだよ、と人から言われると、
まるで私たちとは別の生き物だ、と言われているように感じ、僕は本当に悲しい。
相手に合わせている=擬態
という意味で使う人も中にはいるのかもしれないけれど、
相手に合わせていることは、
相手に合わせている、と一般には表現すると思う。
発達障害が関係してこない場面で、
あなたは擬態しているね!
という会話を普段聞いたことがない。
だから、どこかで「他の生き物」に「合わせている」という認識があって初めて使われる言葉だと、僕は感じる。
発達障害を抱えている人が世間との断絶を感じなくなった時には、この言葉も使われなくなるんじゃないかな、と思う。
いつか、この言葉はなくなったらいいな。
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