230427_受動型ASDの傾向のつよい僕は利用され、いじめられやすい。以前勤めていた会社にて①

かめたのコツコツ発達日記

主張がない人はいじめられたり、利用されたりしやすい。
それは、僕が生きてきてとてもつよく感じてきたことだ。

受動型asdの傾向がつよく、失感情症と緘黙症がある僕は、
いじめにもあったし、会社では利用もされてきた。

以前に勤めていたデザイン会社では
僕が提案したデザインを、先輩が提案したデザインだということにされてしまった。

主張がよわく、積極的なコミュニケーションも取れない僕は、
先輩から好かれるということもなく、
仲のいい同僚をつくり、安全な立場をつくことができなかった。

そのため、デザインに直接的に関わる仕事は回してもらえずに、
模型作りだけを行う日々を過ごしていた。
コロナで学生の方のアルバイトもいなかったため、
通常はアルバイトの方に頼む作業のほとんどを僕が行う形になり、
給料も低いまま、経験すら積めず、1年半が過ぎていた。

ある日、2億円以上の金額が動く大きなコンペティションの、
プレゼン素材としての模型作りを僕は担当することになった。

アルバイトも頼めない状況で、大きな模型を1人でつくる。
到底簡単にできる作業ではなかったのだけれど、
信用を得られていない状況でこの模型作りが失敗に終わったら、
もうここでは働けない、辞めさせられる、そう思い、
週2日徹夜して、土日にも出社をして仕事に取り組んだ。

完成度は、我ながらなかなかのものだったと思う。
結果的に、CGなどの追加資料もなく、
そのコンペには勝つことができたのだから、
僕の模型は客観的に見たってなかなかの完成度だったのだと思う。

4週間ほどかけ、徹夜をして、土日に出社しても、
細かな部品作りにもアルバイトの方の手も借りられない状況では、
細かな部品から自分でつくる必要があり、その模型作りにはとても時間がかかった。

この模型、かなり作るのが大変なんだ、
それをみんなに伝えることができたら状況はすこし違っていたのかもしれないけれど、
緘黙症を抱える僕は、黙って作業をするしかなかった。体に無理をして、
平日は徹夜して、土日も両方出勤して、
作業を続ける以外の選択肢が僕にはなかった。

そして、終わらせた。

提出日の1日前には、先輩2人が、僕の手伝いに入るように社長から言われていた。
先輩2人は、2人ともに、とても嫌そうだった。
はじめは模型作業を一緒にやってくれるのだけれど、
23時をまわり、模型作業をしている僕を含めた3人以外の人が帰りはじめると、
おもむろに寝袋を取り出し、模型作業をやめて寝てしまった。
ぼくは、いや、模型作業をしましょうよ、とも言うこともできずに、
もういいから、僕は寝ないでなんとか模型作業を終わらせないと、
とそう思い、寝ずに、最後の仕上げを施して、模型作業を終わらせた。

模型作業を終わらせた頃、周囲はもう明るくなっていた。

6時頃に目覚まし時計が鳴り、模型作業を途中でやめた先輩が、
起きてきて僕の模型を見て言った。
「模型の写真と動画は取れないだろうからおれが撮るよ、手伝って。」
そう言われた。

僕は一睡もしてないし、眠いや、と思ったけど、味方のいない立場の弱い僕はそれも言うことはできずに、
はい、やりましょう、とだけなんとか声に出した。

模型写真の動画を撮り終えると、先輩は、
「よし、おれから社長に動画と写真は送っておくから、仕事に戻っていいよ」
僕にそう言った。

スマホで時間を確認すると、時間は始業時間の2時間前になっていた。
ああ、徹夜してつくっても、褒められも、労いもなく、
でもきっとそれは僕ができない人間であるせいなのだろう、
と自責傾向のつよい僕は、そんな状況でも僕を責めた。

そして翌日、僕は社長から呼び出された。
社長から見向きもされず、ようやく呼ばれた僕は、
もしかしたら、
模型作りのできがよかったから、間に合わせることができたから、
働いてきて初めて、褒められてしまうのかもしれない、そう思い、
内心るんるんとして社長の下に向かった。

部屋に着くと、僕はどうしてか、社長に怒られた。
「この4週間、何をしていたんだ?模型作りを舐めるなよ。」
そう言われた。

僕は、なんのことか、理解ができずに頭が真っ白になり、
「ごめんなさい。」その言葉だけをなんとか声に出した。

後から聞いた話によると、
模型作業の完成度は申し分なく、
しかし、その模型は手伝った先輩2人がほとんどつくった、
と先輩が社長に報告をしていたらしいことが分かった。
そうして、じゃあこの4週間、僕はなんの仕事をしていたんだ?ということになり、
何もしていない、ことにされたのだ、ということを他の人から聞き、知った。

今なら思う、何もしてない、なんてそんなわけないじゃん。
謝っちゃったら、利用してきた人たちの言ったことが正しいことになっちゃうじゃん。
それでも、自分の感情にも気づきづらい失感情症の僕は、ただ、謝ることしかその場ではできなかった。

何もしていない、そんははずはないじゃあないか。
そう今なら思うけれど、先輩が自分に都合のいい報告をすることで、
僕は2億円のコンペに勝てる模型をつくったのに、
誤差だって0.25mmもないかなりの精度の模型を作り上げたのに、
平日は週2で徹夜して土日も出勤して期限に間に合わせたのに、
僕は何もしていない、怠惰なやつ、という評価を得ることになった。

そこまで理不尽な状況に置かれていたのにも関わらず、
歯を食いしばり耐えることがクセになっている僕は、
何も文句を言わずに、歯を食いしばり、ストレスと睡眠不足でひどい頭痛を抱えながら、
徹夜明けの翌日も、社長に怒られた後に、定時まで働いた。

失感情症もひどかったから、その場では怒りを感じることもできなかった。
怒りを感じることができないと、身を守ることができないのだな、
と、今なら理解ができる。

緘黙症も抱えていた僕は、人に相談することもできなかった。
ただ、一人で漠然と掴むこともできないストレスを抱え、働き続けていた。

もう同じ思いをしないためにも、
失感情症も緘黙症も、寛解させないといけない。
自分を守るために。

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