230728_障害を抱える僕が人を好きになるということ_その②

障害について求めたい理解

前頁で、
発達障害を抱える僕は、
人並みのことをするのに人並み以上の労力がいる僕は、
人を好きになることを諦め、人を好きになることを自分に許さなかった、ことについて記録した。

いつか奇跡が起きて、
僕が人並み以上に仕事ができて、
人2人分以上に稼げるようになって、
人と打ち解けるコミュニケーションの技術を得て、
遊び楽しむ余裕を得たのなら、
その時に初めて人を好きになることを自分に許そうと考えていた。

そして、そんな奇跡は起きなかった。
そして多分、そんな奇跡はこれからも起きない。

奇跡は起きないままなのだろうけれど、
起きなくてもいいや、って思えるぐらい、
僕は今の至らない僕を至らないまま受け入れることができている。

どうして僕は今、そう思うことができているのか。
それはとても重要なことだと思うから記録をしておく。
記録をしないと僕は忘れてしまうから。

3ヶ月ほど前に僕は発達外来に行き発達障害の診断を受け、
それを機に僕はTwitterをはじめた。

Twitterで僕は、服薬した際の経過観察の記録や、コミュニケーション技術習得のための記録をはじめた。
そして、その記録を見て、反応をくれる人達がたくさんいてくれた。
そして反応をくれた人達の中に、自分に似た特性や困りを抱える人達がいることを知り、
その人達と話をすることで多くの気づきを得た。
彼らはみんな、自分のことを至らない、と話していた。
けれど僕から見たら彼らはみんな魅力的だった。
その魅力的な彼らが、僕が発達障害を抱えることを知りながら、
僕と関わり続けていてくれた。
楽しくお喋りができるようにすこしずつなり、
あれ?自分の至らなさを隠してないのに、まだ完璧になれてないのに、人と楽しく時間を過ごせてる、
そのことがとにかく不思議だった。

同じくADHDを抱える友人と、
お喋りをして、話が盛り上がり、その場の興味につられて話が脱線してしまっても、さっき何話してたか忘れちゃったね、ってみんなで笑いあって。
待ち合わせをしてご飯屋さんに向かう時に地図が読めなくて、迷子になりながら辿り着いて、すごい辿り着いたよ!って大げさにふざけて言って喜んで。
本当に億劫なシャワーを浴びてきた、洗濯したー、ご飯を炊いてみたー、って報告したら、めっちゃ偉いね!すごい!って褒めてくれて。

僕は僕の友人と話す上では、僕の特性は何にも困りにならないことが分かった。
僕は僕の友人と一緒にいる間は、彼らと僕の間に障害はない、なんの不自由もない。
そんな時間を初めて過ごした。

なるほどな、
僕は障害を抱えてないことを前提とした社会で生きることに苦しんでいるんだ、
ならばその間はすこし無理をして適応して、
また戻ってきて友だちとお喋りしながら休めばいいや、
そう思えた。

また、会社の方でも変化は起きてきた。
発達障害の診断を受けた翌週から、
コンサータやストラテラ、エビリファイの服薬をはじめ、それぞれの薬の量の調節をはじめた。
薬は飲みはじめがその副作用がつよいため、
量を調節する時期はなかなかにしんどく、会社を早退してしまうこともあった。
薬により脳内多動が和らぎ、自分の感情に気づきやすくなっていた頃から、
歯を食いしばり自分を押し殺し無理して動くことがありがたいことにできなくなり、
限界が来る手前で休むようにもなっていた。

早退したりだとか、昼休み中に仮眠を取るようになり、
明らかに疲れていたり、体を休める姿を会社の人に見せる場面が多くなり、
会社の人に何も言わないことが不自然な状況が生まれてきたため、
会社の人にも発達障害をプチカミングアウトをした。

よくしてくれる先輩(アニキ先輩)に、
発達障害でした!とは言わずに症状とその改善していく兆しがあることだけを伝えた。
生まれつき体の中のある成分が足りなくて、脳が無駄に動き続けて眠気や考えの整理がうまくできないことが分かって、でも薬で改善は見込めそうです。と伝えた。
アニキ先輩は、糖尿病の人でも薬は生涯飲み続けるから服薬も特別なことではないと思うし、服薬してよくなっていくならそれはよかった。
そう言ってくれた。

発達障害を自認した後にコミュニケーションを自分で学び、アニキ先輩とは関係をすこし築いた後のカミングアウトだったので、
職場のカミングアウトを機に仕事ができなくなるなんてことはなく、
特別な配慮もないけれど、
周りが僕のコミュニケーション能力の無さに寛容になってくれた。
僕は至らないことを隠しきれなかったのに、
むしろそれを伝えることによって会社の人は優しくなったから驚いた。
たまたま人にも恵まれていたのだと思う。

自分の発達障害を、自分の至らなさを、
知ってなお、
僕とお喋りを楽しみ、仕事を続けられるよう優しく接してくれる人達と出会い、
僕は段々と、自分に特別な才能なんていらないんじゃないか、
とそう思いはじめてきた。
彼らのおかげで僕は、僕はこの至らなさを抱えたまま、
生きていってもいいんじゃないかと思いはじめている。

そう思えたら、なんだか自分のこともすこし好きになれるようになってきた。
まだ完璧にはあまりに程遠いのに、
あまりに不完全なこの僕のまんま、生きていってもいいや、とそう思えている。

完璧な人間になり評価を得ることによって得られるはずだった自信や安心が、
不完全で至らなさのある人間であることを公表しそれでも人が僕から離れなかったことによって得ることができている。

自信や安心が、当初考えていた獲得の仕方とはむしろ逆のプロセスで得ることができていることが不思議でしょうがない。
不思議でしょうがないけれど、今僕はかつての僕よりも自信があり、安心感を得ている。

至らなさを隠さず表現すること。
その上で人から受け入れられること。
その過程がきっと僕には必要だったのだろうな。

そして改めて思う、
発達障害を隠して(クローズで)生きること、働くことの大変さについて。
自分の抱える最大の至らなさを人から隠し、
それを隠したまま人と関係を築けても、
きっと安心感は得られないんじゃないか、とそう思う。

どこかで、自分の発達障害が人や会社にバレたらこの関係は全て崩れるんじゃないか、
そんな不安を抱えて生き続けることになるんじゃないか。

だから、僕を含めクローズで生きて、働く発達障害を抱える人は、
苦しい思いをするんじゃないかな。

発達障害を隠さずに(オープンに)生きることで僕は自信と安心を得たから、
発達障害をオープンに生きることが許される社会の重要性を改めて感じることができた。

そして、
発達障害に対しての社会の無理解と、
オープンにすることの困難については僕も知っている。

僕がこれから何をするかとか、どうしたいかとかはまだ整理ができていないけど、
僕は発達障害を抱える当事者としてのこの記録は続けていこうとやはり思う。

僕は忘れてしまうし、
この記録を見て当事者の方が何かの気づきを得たり、
発達障害を知らない人が何かを考えてくれる
きっかけになってもらえたら嬉しい。
そう切に思う。

最後の頁で、
僕は自分の至らなさを受け入れたことで、
改めて人を好きになったことについて記録しておこうと思う。
これは、これからのことだからまだ分からないこともあるとは思うのだけれど、
とても大事なことだからしっかりと残しておく。

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