かめたのコツコツ発達日記

かめたのコツコツ発達日記

230420_アニキ先輩に居酒屋で仕事のできなさについての相談をする①

僕は、今の職場が3社目。 今までの会社では、 作業がうまくできないことや、同僚や先輩と打ち解けられない、 そのことが連なり、辞めてきてしまっている。 今の職場でも、数字の打ち間違えやメールの送り間違えが多く、 飲み会の席でも無口な僕は、 もっとしっかり注意しないといけないよ、 もっと積極的に関わっていこうとしないといけないよ、 と日々注意を受け、またここでも働き続けられないのではないか、 そんな不安がどんどんと大きくなる毎日だった。 僕は自分で自分の感情を掴みづらいところがあるけれど、 感情が顔に出づらいところがあるから、 毎日不安そうな顔をしている僕を見て心配させたり不安にさせたりしていた、 そのことをつよく感じ取り、不安をどんどんと大きくしていた。 そんな僕をみて、心配をしてくれたのがアニキ先輩だった。 アニキ先輩は、何度教えてもらっても忘れてしまう僕に、 しっかりしろよー、と言いつつも教え続けてくれているつよくて優しい先輩。 デザインの技術的な知識も豊富で仕事を堅実にこなしつつ、 飲み会や遊びの際にはしっかりとふざけることのできる、 あ、本当に余裕のあるカッコいい男の人って余裕も生まれるから自然と優しくなれるのだろうな、とそう思えるような、そういう風になれたらいいな、とそう思えるような人。 そのアニキ先輩に、僕は僕の仕事のできなさについて、相談の時間をもらうことにした。 「先輩、明日、仕事の後にすこしでいいので飲みに行く時間をいただけませんか。」 「うん、いいよ。明日な、分かった。」 そうアニキ先輩言った。 どうして?とはその場で聞かなかった先輩は、 僕が仕事のことで相談したいんだ、そう感じてくれていたんだと思う。 そして翌日、仕事終わりの時間に、 先輩の作業をしている姿をチラチラ見ながら、いつ頃がいいのかなー、 と考えながら、 いや、あんまり早くに仕事を終えるのもよくないよな、 とモジモジしながら、声をかけられず、どうしようかと考えていたら 「そろそろ行く?」と声をかけてくれて 「はい、お願いします」と答えた。 先輩とは帰りの電車で途中駅までは一緒だから、 あの駅で飲むか、この駅で飲むか、 どんなものが食べたいー? そう聞いてくれたけど、僕は相談をするぞ、ということでもう頭がいっぱいで、 「先輩のおすすめのところに行きたいです」という回答だけをようやく絞り出した。 このお店はこういうお店なんだ、こういうのが食べたかったらあのお店がいいのかもしれない、 先輩はそう提案もしてくれたけど、鬱々としていた僕はその話もうまく即座に理解をすることができず、気づいたら居酒屋の中にいた。 相談を持ちかけたのは僕だから、僕の方から、 実はこんなことを思っていて~、と話をしたかったけれど、 社内で緘黙を発揮していた僕は自分から話しだすこともできず、 先輩も僕が自然と話し出すのを待ってくれているのだろうけど、 なに飲む?なに食べたい?とそう尋ねてくれる。 ああ、後輩なのに先輩に自分から何かを言うわけでもなく、 受動的な姿勢でまたいてしまったな、と落ち込み、 ただでさえ話せない状態だったのに余計に話しだせなくなっていた。 30分以上時間が経ち、先輩に時間をもらったのに何も言わないわけにはいかない、 そう思った僕は、もうその手前の話の脈絡も考えずに、勢いをつけて先輩に話はじめた。
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230417_感情のタグ付けトレーニングをはじめる(発達障害診断前)

最近、自分の感情にタグ付けするトレーニングをしてみることにしている。 それが意味があるか分からないけど、失感情症のを改善させるために、 カウンセラーさんと相談して決めた行うことにしたトレーニング。 「僕は、自分の気持ちが分からず、自分のやりたいことも分からず、 人を好きだとかイヤだとか思う気持ちも分からず、 周りの人から歩み寄ってくれても何もできず、やがて孤立する。 そんなことを繰り返してきてしまっている だから、人に会う機会増やしても人との関係は深まらず、 そもそもの失感情症をどうにかしないと明らかに意味がない。」 そう、カウンセラーさんには相談をしていた。 定型の人に、自分の感情が掴めずうまく話せない話をすると、 〜くん普通だよー、とか、 勇気出して話しかけてみたらいいんじゃない! と、言ってくれる。 けれど、そもそも自分の中に言葉が見つからない感覚だから、 必要なのは、勇気とかじゃあない。 なのに僕も共有したいし寂しさはある。 感情はないはずなのに寂しさはある そう困りを伝えるとカウンセラーさんは、 「失感情症を抱えているといっても、 感情がないわけではなく、刺激は受けているので、 今日一日の出来事を振り返り、自分の感じてることを内省して感情にその感情にタグ付けをしていこう、 人は言葉はに当てはめることで認識ができるから、感情も振り返り名前をつけ直してあげることで改善に向かうかもしれない」 とそう言ってくれた。 そう言われて振り返ってみると 僕はその場では自分の感情に気がつかないが、後から遅れて感情がやってくる ことは多いことに気がついた。 例えば、人に悪口を言われた時に、その場では、ふーんとしか思わないけれど、 後々から腹が立ってくる、そんなことがよくあることに気がついた。 でも、あえて自分の感情について振り返る習慣なんて今まではなかったし、 だから自分の感情に気がつけるタイミングなんてそうなかった。 感情は学習である。 学習であるあるのなら、僕にも学べる可能性はある。 そう思うとまだ救いはあると感じることができる。 いいなーと思ってる子と話をしていても、その場で感想を言ったりすることが難しい。 その子が、せっかく月曜日には飲み会があるのに会社で残業しなきゃいけなくなったー、 という話をしてくれても、 飲み会に行きたいという、やりたいことがあるのがすごいな、 そちらにどうしても気がいってしまう。 みんな、やりたいことを我慢して、 やらなきゃいけないことをやってるんだな、と知ったりもした。 僕は、やりたいことが自分で分からないから、 やらなきゃいけないことしかやることがない。 無報酬でただ頑張らなきゃいけないことしか人生にないし、 人並み以上に頑張らないと人並みにもなれない。 その子の話の中身に関心を向け共感ができるようになるために、 僕も色んな経験を積みたいし、 そのためにもまずは失感情症をどうにかしなきゃ、とただひたすらに思った。
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230415_twitter開設し失感情症に取り組みはじめる(発達障害診断前)

中高生の頃から言葉を発することができず、社会人になりうつの発症と転職を繰り返していた。 自分は自分の感情ややりたいことに気づくことが難しく、 それにより言葉を発することへの難しさがあるのでは、と気づくようになり困りに取り組むことを決めました。 発達障害には治療が一切ないからと諦めない人と繋がりたい。 そう思いtwitterをはじめることにしました。 (実際には服薬により生活の補助を医療から受けることは可能です。) まずは失感情症(自分の感情に気づきづらくなる障害、アレキシサイミアとも呼ばれる)を改善させることに決めました。 僕が失感情症に気がついた一番のきっかけは、 人を好きになったことがきっかけでした。 ある人を好きになり、食事に行くようになり、 その人が話してくれるエピソードがとても豊かで、 学生の時にはこんなことをしたんだ、 会社でこんなことがあってこんな思いをしたんだ、 そんな話を聞くうちに、 あれ?僕は学生の頃には学校に行くだけでヘトヘトに疲れ帰宅する半引きこもりの生活をしていたから、 そんなに色々な経験をしてはいないな。 そんなことを振り返る場面が何度も何度も出てきた。 そして、漫画や映画でしかあり得ないような、 「学生生活」と呼ばれるものを、実際に経験している人がいるのだと、 心底驚いた、というよりも、恐ろしく思った。 僕が、年齢不相応の経験の積み重ねしかできていないことに、気がつきはじめた瞬間だったから。 でも、だからこそ僕は、変わりたい、とつよく思うようになった。 失感情症を改善させたいなー、という漠然とした思いが、 なんとか僕の好きになった子が僕に愛想をつかしてしまわぬうちに、 なんとか自分の感情を掴めるようになりたい、頭のモヤを晴らしたい、 そう切実に、つよく思うようになった。 僕が、 自分が年齢不相応の経験や知識しかないことに気がついたことも、 自分の失感情症の改善や頭のモヤを晴らすことを切迫とした問題と捉えられたことも、 人を好きになったことがきっかけだったのだと思う。