障害について求めたい理解

障害について求めたい理解

230728_障害を抱える僕が人を好きになるということ_その③

前の頁で、僕は発達障害という僕の至らなさについて友人や会社の人にオープンに話しはじめ、 そしてそれでもなお受け入れてもらえたことによって、 自信と安心感を得た経験について記録をした。 そしてそれから僕がまた人を好きになったことについて記録しておこうと思う。 何ももっていない僕とも、お付き合いをしてくれる人は、過去にはいた。 そして、決まって僕の方から離れてしまった。 理由は今ならわかっていて、僕は時間が経ち関係が深まるほど、自分が至らないことがバレてしまうことが怖かった。 だから自分の方から離れていってしまっていた。 優しい人を相手にひどいことをしてしまっていた。 その人の前で重ねてきたミスの一つ一つも、 きっと人から見たら些細なミスだったのかもしれない。 だけど僕から見たら、 29年間見続けてきた発達障害であるがゆえのミスで、 そのミスを晒す度に、いつか見放されるんじゃないか、と怖くなっていた。 ご飯屋を選べばその店は日曜休みで、 次に入った店ではその子が食べたい料理と違うものを誤って注文し、 そこから次の目的地に行こうとすれば距離が遠くて、 そんな日に限って雨は降り僕は傘がない。 その子の傘に入れてもらい地図を読むも間違えてしまい道に迷う。 そんなミスをその子は笑ってくれても僕は本気で落ち込み困らせてしまう。 こんな自分と時間を過ごさせては申し訳ないと予定より早めの時間に、解散しようと提案し、 え?一緒にいたくないの?と言わせてしまう。 本当に何をやっていたんだろうな。 振り返ればおかしなズレたことをしていたことは分かる。 今思えば、笑えばよかったんだろうな。 ミスをしてしまい、そのミスを自分から笑えばよかったんだろうな。 でもさ、どんどんとバレていく自分の至らなさが、 隠せない僕の足りなさが恥ずかしくて、 呆れられて離れられるのが怖かったんだよな。 段々と、会うことも電話をすることも怖くなっていった。 僕は黙っていてさえいたら、仕事もできそうな見た目をしてるんだ。 学生の時にバイト先の店長に言われた。 「うーん、見た目は仕事できる感じすごいするのにね!」って。 (学生の時はもうすこし呑気だったからこれを褒め言葉だと勘違いしていた。) だから、時間が経ち、段々と、僕が何もできないことが、何も持っていないことがバレて、 近くにいてくれる人が僕から離れていってしまうんじゃないか、 とそれがただひたすらに怖かった。 というか、それは今でもきっと怖い。 そして、自分の抱える発達障害について受け入れた今、僕は生まれて初めての関係の築き方をした。 僕の抱える発達障害を、僕の抱える至らなさを、 予め知った上で僕とお喋りしてくれる、遊んでくれる友だちができた。 そして、僕が発達障害を抱えていることを知った上で僕と一緒にいてくれる人ができて、僕はその人のことを心底、いいな、と思えている。 不思議と、というか最早当たり前なのかもしれないけれど、 僕は彼らと関わる時に不安を感じることがない。 だって彼らは、僕の至らなさを知った上で時間を一緒に過ごしてくれている。 これからどんなに時間が経とうとも、バレてしまう、隠している至らなさがもう僕には他にない。 そうしたら、時間が経ち関係が深まることの怖さや不安はもうそこにはなかった。 だから、僕は彼らとのこれからの時間がただ楽しみでしょうがない。 僕が人と関係を築くことのできなかった大きな理由の一つがこれをしなかったからなのかもしれない。 至らなさを初めからさらす、 それでも付き合ってくれる人達と付き合う。 これをしなかったからかもしれないけれど、 じゃあもう一度過去に戻りそれができるかといえばできないよな。 だって、できない自分を認めてもらえた経験なんて、 僕はしたことがなかったんだから。 一度も認められたことがない人間が、 これからもしかしたら認めてくれる人がいるかもしれない、 なんて楽天的には思えないよな。 長年かけて悲観的に物事みる視点を身につけて、 つらい現実に直面した時に落ち込まないようにハードルを下げて生きつづけて、 その低いハードルをさらに下回る現実に毎日直面してきてるんだから。 だから、僕が僕のあるがままを認めるには、 人にあるがままを受け入れてもらう経験が、 まずは必要だったのだと思う。 これ以上ないくらいに、僕は何も持ってない人間であることを予めにオープンにして、 障害も抱えていて、仕事もできなくて、お金もなくて、遊んできた経験もなくて、 全てをオープンにした上で、僕が無であることを知った上で受け入れてくれる、 強烈な経験が、僕には必要だったのだと思う。 僕のあるがままは、 僕がひた隠しにしてきた至らなさと弱さだったのだと思う。 その至らなさと弱さをひた隠しにしてきたからこそ、 僕は僕を誰かが受け入れてくれた経験を積めなかったのだろう。 人を好きになることも、信用することもできなかったのだろう。 大きなことに気がついた気がする。 そして今、僕は僕の至らなさを受け入れることができている。 こうして、 僕が僕のあるがままを認めることができた時に、 気がつけば「完璧にならないと人を好きになってはいけない」と定めた自分のルールも自然と破綻をしていた。 破綻をしているルールを守るほどには僕も生真面目ではないので、 そうして僕はまた、人を好きになる心や考え方の準備ができたのだと思う。 そして、最近できた、発達障害を抱え、僕と近い困りを抱える友人達には偶然、みんな揃ってパートナーの方がいた。 彼らの生活は、何よりも楽しそうに見えた。 僕の大事にしている理屈がどうでもいいやと思えるくらいに楽しそうに見えた。 その友人達のその姿を見て思った。 僕はまだ、 完璧じゃなくても、完全じゃなくても、 それでも人と、 一緒に時間を過ごしてもいいんじゃないか、って。 生活を共にしていいんじゃないか、って。 僕の至らなさを予め知っていて、 その上で受け入れてくれるのであるならば、 僕はもう、これからは、 自分から離れたりなんかしなくっていいんじゃないか。 だから、僕はまた、いいな、と思える人と出会えた時に、恐れずに行くことができた。 (実際にはおどおどと声をかけたけど) その子とのお出かけでは、 喫茶店で涼しくプリンを食べるつもりが真夏の暑い日にテラス席を用意してつらい思いをさせてしまったけど、 このプリンを食べたら冷房の効いた向かいのデパートに避難しよう!と笑いながら言ってくれて楽しかった。 デパートで涼んだあと、焼き鳥屋に行く前に別の喫茶店で涼もうと探し歩きどこも混雑で入れなかったけど、 家具の量販店なら椅子が沢山あるかも!丁度椅子も検討したかったところだから中で涼もう、と急遽ウィンドウショッピングがはじまり楽しかった。 量販店の3階から、下階に降りようとしたら上りエスカレーターの方に向かってしまい 一階の出口に行こうとしたら一階の非常口に辿り着いてしまい館内で道に迷うというトリッキーなミスも披露してしまったけれど、 振り返ったら笑ってくれて、僕も楽しかった。 僕はきっと何も変わってない。 ミスばかりだし、何一つうまくこなせない。 だけど今は、僕が至らないことを知っている上で 近くにいてくれる人達がいる。 だから僕は、そのままの自分もわるくはないや、とそう思うことができている。 僕は人に本当に恵まれている。 人が自信を得る過程で必要なのは、 特別な才能を活かし人に必要とされることではなく、 どれだけ自分に至らなさがあったとしても、 受け入れてくれた人達がいたかどうか、その経験なんだと思う。 緘黙症で、失感情症で、離人症だった僕は、 人に存在を気づかれず、嫌われて、時にいじめられてきた僕は、 特別な能力や技術を得ることでその状況をひっくり返したいと願い続けてきた。 そしてそんなことはできなかったし、きっとこれからもできない。 そもそもその必要性すら、今は感じない。 今は、生きることがすこし楽しみだ。 そんな風に思えているのは、生まれて初めてだ。 僕は、本当に人に恵まれている。 形式的なものなんかじゃなかって、 自然に浮かんでくる、有り難いという感覚が。 胸部真ん中のやや下辺りににややの重さを感じ、 地に足がつく感覚を覚え、それらは人が僕にくれたものだと感じ、 有り難いという感覚を覚える。 ありがとう、は言葉でメッセージだけど、 有り難い、は感情でも思考でもなく、感覚に近いな。 うん、心から有り難い。 発達障害を抱える僕が、 なぜ人を好きになれなかったのか、 なぜ至らない自分を受容することができたのか、 なぜ人を好きになることができるようになったのか、 その記録がひとまずここで、できたように思う。 また何かを忘れかけたら、読み返し思い出そうと思う。 僕はどんなに大事なことでも忘れてしまうから、 大事なものはここに記録しておく。 本当に人に恵まれているな、僕は。 コツコツと生活を改善させたい。 そのことだって、まだ諦めない。
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230728_障害を抱える僕が人を好きになるということ_その②

前頁で、 発達障害を抱える僕は、 人並みのことをするのに人並み以上の労力がいる僕は、 人を好きになることを諦め、人を好きになることを自分に許さなかった、ことについて記録した。 いつか奇跡が起きて、 僕が人並み以上に仕事ができて、 人2人分以上に稼げるようになって、 人と打ち解けるコミュニケーションの技術を得て、 遊び楽しむ余裕を得たのなら、 その時に初めて人を好きになることを自分に許そうと考えていた。 そして、そんな奇跡は起きなかった。 そして多分、そんな奇跡はこれからも起きない。 奇跡は起きないままなのだろうけれど、 起きなくてもいいや、って思えるぐらい、 僕は今の至らない僕を至らないまま受け入れることができている。 どうして僕は今、そう思うことができているのか。 それはとても重要なことだと思うから記録をしておく。 記録をしないと僕は忘れてしまうから。 3ヶ月ほど前に僕は発達外来に行き発達障害の診断を受け、 それを機に僕はTwitterをはじめた。 Twitterで僕は、服薬した際の経過観察の記録や、コミュニケーション技術習得のための記録をはじめた。 そして、その記録を見て、反応をくれる人達がたくさんいてくれた。 そして反応をくれた人達の中に、自分に似た特性や困りを抱える人達がいることを知り、 その人達と話をすることで多くの気づきを得た。 彼らはみんな、自分のことを至らない、と話していた。 けれど僕から見たら彼らはみんな魅力的だった。 その魅力的な彼らが、僕が発達障害を抱えることを知りながら、 僕と関わり続けていてくれた。 楽しくお喋りができるようにすこしずつなり、 あれ?自分の至らなさを隠してないのに、まだ完璧になれてないのに、人と楽しく時間を過ごせてる、 そのことがとにかく不思議だった。 同じくADHDを抱える友人と、 お喋りをして、話が盛り上がり、その場の興味につられて話が脱線してしまっても、さっき何話してたか忘れちゃったね、ってみんなで笑いあって。 待ち合わせをしてご飯屋さんに向かう時に地図が読めなくて、迷子になりながら辿り着いて、すごい辿り着いたよ!って大げさにふざけて言って喜んで。 本当に億劫なシャワーを浴びてきた、洗濯したー、ご飯を炊いてみたー、って報告したら、めっちゃ偉いね!すごい!って褒めてくれて。 僕は僕の友人と話す上では、僕の特性は何にも困りにならないことが分かった。 僕は僕の友人と一緒にいる間は、彼らと僕の間に障害はない、なんの不自由もない。 そんな時間を初めて過ごした。 なるほどな、 僕は障害を抱えてないことを前提とした社会で生きることに苦しんでいるんだ、 ならばその間はすこし無理をして適応して、 また戻ってきて友だちとお喋りしながら休めばいいや、 そう思えた。 また、会社の方でも変化は起きてきた。 発達障害の診断を受けた翌週から、 コンサータやストラテラ、エビリファイの服薬をはじめ、それぞれの薬の量の調節をはじめた。 薬は飲みはじめがその副作用がつよいため、 量を調節する時期はなかなかにしんどく、会社を早退してしまうこともあった。 薬により脳内多動が和らぎ、自分の感情に気づきやすくなっていた頃から、 歯を食いしばり自分を押し殺し無理して動くことがありがたいことにできなくなり、 限界が来る手前で休むようにもなっていた。 早退したりだとか、昼休み中に仮眠を取るようになり、 明らかに疲れていたり、体を休める姿を会社の人に見せる場面が多くなり、 会社の人に何も言わないことが不自然な状況が生まれてきたため、 会社の人にも発達障害をプチカミングアウトをした。 よくしてくれる先輩(アニキ先輩)に、 発達障害でした!とは言わずに症状とその改善していく兆しがあることだけを伝えた。 生まれつき体の中のある成分が足りなくて、脳が無駄に動き続けて眠気や考えの整理がうまくできないことが分かって、でも薬で改善は見込めそうです。と伝えた。 アニキ先輩は、糖尿病の人でも薬は生涯飲み続けるから服薬も特別なことではないと思うし、服薬してよくなっていくならそれはよかった。 そう言ってくれた。 発達障害を自認した後にコミュニケーションを自分で学び、アニキ先輩とは関係をすこし築いた後のカミングアウトだったので、 職場のカミングアウトを機に仕事ができなくなるなんてことはなく、 特別な配慮もないけれど、 周りが僕のコミュニケーション能力の無さに寛容になってくれた。 僕は至らないことを隠しきれなかったのに、 むしろそれを伝えることによって会社の人は優しくなったから驚いた。 たまたま人にも恵まれていたのだと思う。 自分の発達障害を、自分の至らなさを、 知ってなお、 僕とお喋りを楽しみ、仕事を続けられるよう優しく接してくれる人達と出会い、 僕は段々と、自分に特別な才能なんていらないんじゃないか、 とそう思いはじめてきた。 彼らのおかげで僕は、僕はこの至らなさを抱えたまま、 生きていってもいいんじゃないかと思いはじめている。 そう思えたら、なんだか自分のこともすこし好きになれるようになってきた。 まだ完璧にはあまりに程遠いのに、 あまりに不完全なこの僕のまんま、生きていってもいいや、とそう思えている。 完璧な人間になり評価を得ることによって得られるはずだった自信や安心が、 不完全で至らなさのある人間であることを公表しそれでも人が僕から離れなかったことによって得ることができている。 自信や安心が、当初考えていた獲得の仕方とはむしろ逆のプロセスで得ることができていることが不思議でしょうがない。 不思議でしょうがないけれど、今僕はかつての僕よりも自信があり、安心感を得ている。 至らなさを隠さず表現すること。 その上で人から受け入れられること。 その過程がきっと僕には必要だったのだろうな。 そして改めて思う、 発達障害を隠して(クローズで)生きること、働くことの大変さについて。 自分の抱える最大の至らなさを人から隠し、 それを隠したまま人と関係を築けても、 きっと安心感は得られないんじゃないか、とそう思う。 どこかで、自分の発達障害が人や会社にバレたらこの関係は全て崩れるんじゃないか、 そんな不安を抱えて生き続けることになるんじゃないか。 だから、僕を含めクローズで生きて、働く発達障害を抱える人は、 苦しい思いをするんじゃないかな。 発達障害を隠さずに(オープンに)生きることで僕は自信と安心を得たから、 発達障害をオープンに生きることが許される社会の重要性を改めて感じることができた。 そして、 発達障害に対しての社会の無理解と、 オープンにすることの困難については僕も知っている。 僕がこれから何をするかとか、どうしたいかとかはまだ整理ができていないけど、 僕は発達障害を抱える当事者としてのこの記録は続けていこうとやはり思う。 僕は忘れてしまうし、 この記録を見て当事者の方が何かの気づきを得たり、 発達障害を知らない人が何かを考えてくれる きっかけになってもらえたら嬉しい。 そう切に思う。 最後の頁で、 僕は自分の至らなさを受け入れたことで、 改めて人を好きになったことについて記録しておこうと思う。 これは、これからのことだからまだ分からないこともあるとは思うのだけれど、 とても大事なことだからしっかりと残しておく。
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230728_障害を抱える僕が人を好きになるということ_その①

「発達障害」を抱える僕にとって、 恋愛とはしてはいけないものだった。 緘黙症を抱え、楽しいお喋りもできず、 あらゆることに不器用で、お金も稼げていない、 そんな僕とのお付き合いを考えてくれる人も過去にいてくれはした。 僕はただひたすらに真面目だったから、 相手の話を聞くことだけはしっかりやろう、 そう努めていたから、誠実な人だとは思ってくれたのかもしれない。 自信のない僕はどうしても受け身になるし、 そんな僕に関わろうとしてくれるなんて、 そんなありがたいことなんてそうないことなのに、 僕は相手の時間をこんな僕が奪うことの申し訳なさに耐えられず、 いつも自分から身を引いてしまってきた。 それは結果的に相手に失礼なことだ、 そうは分かっているけれど耐えきれずに離れてきた。 なぜ僕は こんなに喋ることができないのか。 こんなにやりたいことの主張ができないのか。 こんなに仕事ができず稼げていないのか。 そうして悩み、僕はやがて自分が発達障害(ADHD+ASD)を抱えていることを29歳になって知り、そして生活の改善に努めようと意識しはじめる。 自分1人で生きるのならば、変わりたい、そうつよく思うことはなかったのだと思う。 自分1人で生きる、その決意が揺らぎ1人で生き抜くことを諦めた時に、僕は変わろうと、そう思えた。 もう29歳になる僕と会ってくれたその人は、 僕より遥かに稼ぎ、休みが多く、 毎月旅行に行き、毎日友だちとご飯に行き、会社の部活にも参加するような、 恐らく普通よりも遥かにアクティブで余裕のある人だった。 そんな人がどうして僕と会ってくれていたのか、 それは未だに分からない。 分からないけれど、自分が何も持っていない人間である、それだけはハッキリと、ずうっと分かっていた。 会う度に、時間を過ごす度に、 自分の足らなさと至らなさを知り、 苦しい時間を過ごしていた。 言うまでもないことだけれど、相手の方は何一つわるくない。 僕が勝手に自信のなさから自分を否定し続けていただけ。 相手は目の前で自己否定をし続ける僕を前にしても、離れようとはしないでいてくれた。 メンヘラなんだ僕は、と伝えたら、メンヘラなのは知ってるよ?と返ってきた。 うまく話せないんだ僕は、と伝えたら、私が話して私が楽しければ、気にしなくていいんじゃない?と返ってきた。 そこまでのことを言わせてしまった。 そこまでのことを言わせてしまったのに、 僕は自分から連絡を返すのをやめて離れてしまった。 本当に失礼なことをしてしまったと思っている。 その経験を経て、僕は人を好きになるのをやめよう、とそう決めた。 僕はASDを抱えているからか、 自分で決めたことはその感情すらも持たないようにすることができてしまうことがある。 高校の時に、大学受験に集中するため、 自分に今後一切の娯楽を禁じるというルールを設けてみたことがある。 漫画やゲームや娯楽に該当する全てを1日で全て捨てた。 すると、想像以上に忠実に守れてしまい、 29歳になる今までろくに遊べなかった経緯すらある。 (遊び楽しむ感覚はこれから取り戻したい大きなことの一つでもある。) そんな僕だから、好きになるのをやめる、 とそう決めたら想像以上に徹することができた。 徹することができてしまった。 女の子慣れしていない僕は、 女の子と話す時は必ずどこか緊張を覚えていたのに、 好きになるのをやめると決めてからは緊張せずに話せるようになった。 あまりに緊張をしなくなり、 そこまで徹することのできる自分に寂しさすら覚えた。 自分自身に自信がない人間は、 仕事をなす技術がない人間は、 お金を稼ぐ能力のない人間は、 遊ぶ余裕と経験のない人間は、 そんな僕には人を好きになる権利がない。 ましてや僕は発達障害を抱えている。 人一倍、当たり前のレベルに達することすらハードルが高く、 一人前のことすらこなせない僕が、 誰かとのこれからを考える権利なんてない、 そう考えていた。 だから僕は、 きっと誰が相手でも離れてしまっていたんだろう、とそう思う。 だからまずは自信をつけよう。 そう決めて仕事に打ち込み、 そしてADHDの注意欠陥から多くのミスを重ね、 ASDも併発している僕は相変わらず会社で打ち解けることもできず、 また自信を喪失していった。 何度も何度も消えてしまいたくなって、 部屋の隅にうずくまってひとりで泣いた。 つらかったな、あの日々は。 また同じ日々を今の僕が過ごして、 生き延びられる自信は僕にはない。 その経験を経て、 なるほど、自分が発達障害を抱えていると認め受け入れただけじゃ何も変わらないや。 人や薬の補助もなく1人で取り組み続けることには限界があるや、前に進めないや。 そう思い、発達外来に行くことに決めた。 あなたは発達障害です、とその日に僕は診断を受けた。 診断を受けたその場で僕は泣いた。 ありがとうございます、と先生に伝えた。 小5で鬱になり、そこから5つほどの精神科に通院し、いくつもの向精神薬を飲んでも効果が全くなく、 精神科に入院もして、 何度も僕は発達障害だと思うと自分で言っても認めてもらえず、 精神科の入院先に紹介状をもらい発達障害を専門にする大学病院になんとか辿りついたのに、 目を見たら分かる、あなたは発達障害じゃないよ、と診察時間は5分ももらえなかった。 名医のフリなんてするなよな。 生育歴も聞かずに日常の困りを本人から聞かずに、目を見て判断なんかできるはずがないだろ、 当事者の方から知識をもらった今の僕ならそう思うことができるけど、 「名医」に「発達障害なんかじゃない」と診断され、 そしてその診断を聞き喜ぶ両親の顔を見て、 僕は自分は発達障害であると認めるのを諦めた。 今思えば、あの出来事が僕の発達障害の診断を遅らせたんだ。 それから、 「発達障害なんかじゃない」僕は、 ただの、 「短期記憶の保たない、集中のできない、作業の整理ができない、コミュニケーションのとれない」僕になって、 発達障害だと診断されないことによって、 僕は僕をより追い詰めた。 なんで僕はこんなにできないんだ、駄目なんだ、 休んでる暇なんてない、遊んでる余裕なんてない、 もっと努力しなきゃ、変わらなきゃ、変わらなきゃって自己否定をし続けて生きてきた。 僕は消えてしまいたくなるくらいつらくって、 助けを求めて催眠療法にも自己啓発セミナーにもすがり騙されお金を取られた。 カウンセリングに今も通い続けている僕は今だって貯金はほぼない。 僕にとってはどこにも希望を見出せない絶望的な状況で、 そんな状況下で僕の主治医は僕を発達障害を抱え困りを抱えている人だと認めてくれた。 誰も助けようとしてくれなかった僕に、 主治医の先生は手を差し伸べてくれたように見えた。 本当に心から有り難いと思った。 心から有り難いと思ったから、 涙が出てきて、ありがとうございます、という声が出た。 もし僕が29歳のあの時に、あの子に会っていなければ、 僕は自分が同世代の人と比べて持っていないもの、足りていないものがあると気づけはしなかったと思う。 気づき、自分の発達障害を受け入れ、 それでも、 つらい経験を重ねてきた精神科には行く気がせず、 精神科で出される薬を飲むのは良くないことだという考えを刷り込まれてきた僕は、 発達外来に行く意味を感じずに独力でサプリメントとセルフ療育だけでどうにかしようと努めた。 そしてそれにも限界を感じ、発達外来に行き服薬をはじめ、僕の人生は遅ればせながらはじまりはじめた。 そうやって振り返るとさ、 僕がつよく変わりたい、と思ったのは、 人を好きになったことがきっかけなのかもしれない。 人を好きでい続けられなかったことがきっかけなのかもしれない。 迷惑をかけイヤな思いばかりをさせてしまった人に、 感謝の念を抱いている僕はなんだかエゴの塊のようだな。 でも、心からの感謝の念をどうしても抱いてしまうんだ。 そして最近、 コンサータやストラテラ、エビリファイを服薬し、 薬の量の調整を終えADHDの脳内多動が落ち着き、 仕事はすこしだけできるようになってきても、 それでもやはり会社の人と打ち解けられない不完全な自分は、やはりまだここにいる 不完全な自分はそのままなのだけれど、 不完全であることはそのままに、僕は僕を受け入れることができるようになってきている。 それについては次の頁にメモしておこうと思う。
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230727_自分は大したことがないと受け入れることについて

自分の無限の可能性を信じていた。 信じていたというより、 無限の可能性がそこにないのなら、 生きていく意味を失いかねなかった。 だから、生きていくには、 無限に可能性がそこにあると信じる必要があった。 緘黙症・失感情症・離人症を抱え、 誰の視界にも写らない透明人間だった僕が、 そんな僕の人生が、 変わるのかもしれない、 変えられるのかもしれない、 そう信じ続けるには、 僕には無限の可能性があると信じ続ける必要があった。 それだけ僕の今は常に絶望的だった。 それが最近、僕は大したことがないかもしれない、 そう受け入れることができつつある。 僕は大したことがない人間である、 そう思えることは案外絶望的なことではない。 ネガティブな、消極的な言葉のようだけれど、 きっとそれは僕のこれからについて僕が、 ポジティブに、積極的に考えることができているから、 受け入れることができているのだと思う。 そして僕がそれを受け入れられているのは、 人が僕の発達障害を知り、僕の至らなさを知り、 それでもなお関わろうとしてくれる人達のおかげなのだと思う。 世間の発達障害の理解は進んでいるとは言えず、 自身の発達障害をカミングアウトをすることは未だリスクの方が大きいのだけれど、 信頼関係を築き、これからも付き合っていきたい人に自身の発達障害をカミングアウトをする。 そしてその上で僕を受け入れてもらう。 そのことは僕が生きていく上で必要なプロセスだったように思う。 今僕は友だちにはカミングアウトをしていて、 会社でも、発達障害です!とは言わずに、 生まれつき体のある成分が足らず眠気や考えの整理が難しくなることがあるので薬を飲んでいる、 と原因と症状のみを伝えるプチカミングアウトをして、 以前と変わらず働かせていただいている。 どころか会社では配慮をいただくこともある。 その状況が、 僕に無限の可能性を持つ必要はないと思わせてくれているのかもしれない。 何者かにならずともいいんだ、今を楽しみ、休める余裕が持てたらそれでいいや、 とそう思わせてくれているのだと思う。 だから、僕はやはり、 発達障害をオープンにして暮らせる社会であってほしいな、と心から思う。 ここまで苦心してようやくカミングアウトをするような社会ではなく、 努力範囲を超えて何かができない人がいて、 生きるために補助が必要な人がいるんだ、ってことを多くの人に知ってほしい。 そうして初めてカミングアウトができるようになるんだと思う。 配慮をもらうためではなく、 理解をしてもらうためにはカミングアウトは必要だったんだ。 そして、理解は生きる上では必要なことだったんだ。 あったらいいな、そんなものではなくって、 理解がなければ人は生きていくのが難しい。 29年間生きてきて、 僕は初めて僕のことを理解した上で受け入れてくれた人と出会えた。 もうすこし早く、そうなれたらよかったな、 そう思ってしまう自分もやはりいる。 これからは、僕らの次の世代の子ども達は、 学生の時から理解され受け入れられてもらえるといいな。 僕が過ごせなかった学生生活を、 過ごせるような社会であってほしいな。 そう通勤の電車で思った。 なんでだろうな、会社に行くのが怖くないや。
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230709_発達障害が僕にくれた人のできないに対する寛容

昨日、トイレで手を洗ってたら、 隣で手を洗おうとしてる男性が自動水栓のやり方が分からずオロオロしてたのを見た 耳からの情報を受け取るのが難しい人なのか、 いつもと違う状況にパニックになってるか 僕は判断ができなかったから、 手を隣の自動水栓の近くに近づけて水を出してあげた その男性はこちらに一切目を合わせず、 ありがとーござます、と小さな声で言ったから、 僕は、いいえー、とだけ軽く言った 彼はこちらをちらっとだけ見てトイレを出て行った 僕自身に障害がなく、どうしたって苦手なことがある、ということの理解が持てていなかったら、 せっかくやってやったのに目ぐらい合わせろよ! って傲慢に思っていたのかもしれない。 でも僕は、目を合わせることの苦痛と困難を知っている。 もし僕が障害を持っていなかったら、 どんな風に相手にやり方を伝えてあげるのがいいの? 相手が目を合わせないのは失礼なんかじゃないかもしれない そんな風には考えることができなかったかもしれない その視点は僕の障害が僕にくれたものだ 障害よ、ありがとう そんな風には考えることができるほど僕の器は大きくない だけど相手が何かに苦手な素振りをした際に いやそんなこと普通できるだろ! なんて暴力的なことを言わないでいられるのはいいな