エビリファイ

かめたのコツコツ発達日記

230426_失感情症はきっと改善する、僕なりの根拠

昨日は職場での会話が楽しかったはずで、 でも今は、その気持ちも朝は思い出せず。。。 母にそのことを相談すると、昨日の感情の記録を読み返して見たら? と言われ、読み返してみると、確かに楽しかったことと嬉しかった感情を思い出す。 なぜなのだろう、感情が感じ取れない、 自分の感情が遠い感じがする。 近くに感じる日もあれば、 遠くに感じる日もあって、 遠くに感じる日は、 今までつけてきた感情の記録を読み直す、 ことにしてみる。 感情とその時のエピソードを追体験して、 どんな影響があるか、ひとまず試してみる。 僕の特性は 「感情を感じることができない」ではなく 「感情の学習に時間がかかる」といったものかもしれない 丁寧に学習した結果、感じ取れるようになるかもしれない。 そう信じてはじめてみることにした。 なぜそう信じることができるのか、 それには一応の根拠が、僕なりにはある。 僕は大学生の頃まで、感情だけでなく、 暑いや寒い、痛いの感覚すらを感じることが難しかった。 電車の中で汗をダラダラかいてて、 周りにいた人から、上着脱げば?と言われたり、 寒いのに半袖で過ごしてて、 寒くないの?と聞かれて分からず、え?と返してた。 それぐらいに暑さや寒さの感覚がなかった。 そのことをカウンセラーさんに相談をすると、 感覚が遠い、その原因は、感覚に名前をつけられていないから、 なのかもしれないよ、と、そういう見立てをもらった。 人は、名前をつけることでより細やかな認識をすることができる、 そういう内容をいつかどこかの本で、確かに見たことがあるなー、と思い出した。 例えば、「緑」という言葉を持たない民族は、「緑」色を認識することができず、青色も緑色も「青」色だと認識してしまうけれど、 日本のように青色に色んな名前をつける文化の元で育つと、 「水色」や「藍色」など、多種の青色の中にある細やかな差も感じることができるようになる、という内容だったかと思う。 カウンセラーさんによれば、 僕は小学生の高学年の頃から緘黙症を抱えていたから、 自分が暑いと感じた時に、「暑いねー」と人に話をしたり、 自分が寒いと感じた時に、「寒いねー」と人に話をしたり、 そういう経験をしていないため、自分の感覚に名前をつけることができていいない、 その可能性があるんじゃないか、そう指摘をしてくれた。 その指摘をもらってから、 汗をかいて、恐らく暑いのだろう、と感じた時に、「暑いなー」と自分に言い聞かせる。 薄着で体が震えた時に、「寒いなー」と自分に言い聞かせる。 そうしたことを1年間、毎日毎日やり続けることで、 今は意識をしなくても、暑さや寒さを感じることができるようになっている。 痛みの鈍感さについても同様に、痛みと思われる感覚を覚えた時に、「痛いなー」と自分に言い聞かせることで、この感覚が「痛み」だ、自分に覚えさせていき、まだ痛みには鈍感ながらも感じることができるようになっている 全く感じることのできなかった暑さや寒さ、痛みの感覚を「後天的」に「学習」した僕は、 感情の感じづらさも「後天的」に「学習」できるのではないか、とそう信じている。 感覚に言葉を当てはめていく作業を、 感情に対してはやってこなかったので、 まだ感情を感じづらいのかもしれないな、とそう思った。 感情ややりたいこと、楽しいことも感じることができるようになるのかな、 そうなったら嬉しいし、信じないと僕は動けなくなるから、まず、信じてみることにする。 そうして、感情のタグ付けを続けている。 最近、自分の感情にすこし気づきはじめたからか、 相手が何を思ってるのか無意識に推測するようにもなっている気がする。 そして、そのズレも少なくなったように思う。 今までは自分の感情から類推、という手がかりすらもなく 当てずっぽうで相手の感情を当てに行ってたんだろうな、きっと。 そして、冗談もすこしは言えるようになった。 前はおもしろいことを言おうとして、周りをキョトンとさせていたりしたのたけれど、 最近は冗談を言ったら会社の人が笑ってくれる、 という経験をした。 そんな風にスムーズに、意図とズレてない反応もらったことは、今までなかったからとても驚いた。 そんな経験があったから、 自分の感情を掴むことは、 相手の感情を推測する材料になるのかもな、と最近思う 感情にタグ付けをしていくと、 あまり何も考えずに、冗談を言える場面もできてきている 「発達障害」だから「できない」のではなく、 「僕」は「この作業」の「学習に時間がかかる」と考えた方がまだ期待を持って動ける 今まで僕は、 自分の感情に気づかないまま人と会う機会ばかり増やして、 自分で自分に気づけないから当然自己表現もうまくできず、 人からも、主張がない自分がないやつだ、と思われて、 その失敗体験を重ねてきたのだと思う。 だからまずは人のことは置いておいて、 内省して自分の感情を自分の言葉で整理する。 話す技術とか表現は後回しで、まずは自分を理解する そうすると、 相手のことも自然と興味が持てたり、 相手もそういう気持ちなのかも?と自分の感情を根拠に類推するので、 大きなハズレは無くなってくるのだと思う。 そのためにもまずは、自分の感情を理解しよう。 だからこそ僕はまず、感情は学習できるのだと信じよう。 感覚を学習できた僕なのだから、きっと感情も学習できる。
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230912_睡眠が足りない日にはコンサータが効かない、気がする

前日は、仕事が21時前まで続き、体力もヘトヘトなまま帰宅をした。 ヘトヘトなまま、床に座り込むと、重力が増えたような感覚を覚えるほどに体が以上に重く、 頭もなんだかフラフラとしていて、立てなくなってしまい、 シャワーも浴びれず夕飯も食べれないまま、23時を過ぎてしまい、 寝つきもわるく、寝るのは深夜の1時を超えてしまった。 寝つきがわるい時、つい起きて何か行動したりしてしまうけれど、 昨日は無理に寝ようとも考えず、 目をつむり寝転んでいるだけで体は休められる、 そう言い聞かせて、寝なくてもいいから寝転んでいよう、 と考えそのようにしていたら、眠りにつくことができた。 この感覚は、収穫だ。 寝るのを諦めたら寝ることができる。 ただ、やはり睡眠時間が短いことには変わりがない。 コンサータの危機がわるく、 16時くらいから集中が難しく、言葉もまとまりづらくなる感覚を覚えてくる。 やはり、コンサータ2粒を朝にまとめて飲むのではなく、 コンサータを1粒めは朝食後 コンサータの2粒めは10時頃 に時間差で飲む習慣に戻そうと思う。 時間差で飲むことで、効果時間を延ばすことができると主治医に教えてもらっているので、 眠りの浅い日には特にそのようにしようと思う。 ただ、 よく寝れた日に飲むコンサータの方が、効きがいい感覚があり、 つらさもなく、シンプルに目も醒めて寝起きもいい感覚がある。 だから、脳内の多動を鎮めるためにも、 飲んでいる薬の効果を最大限に受けるためにも、 やはり睡眠は大切にしよう、とそう思う。
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230911_先輩からの、最近調子どう?にはどう答えたらいいのかな?

今日、アニキ先輩に、 「どう?最近元気なの?」 と、そう聞かれた。 咄嗟のことでなんのことか分からず、 「え?あ、はい元気です!」 と反射で答えた。 正直に、「なんとかやってる感じです。」 と答えるのか 心配させないよう、「大丈夫です!」 と答えるのか、 どちらが正解だったのだろうか。 うーん、先輩としても気にかけてくれているわけだから、 多少疲れていたり、頑張ってやってる、 ってニュアンスは含ませても、よかったかなー、って思うな。 「大丈夫です!」 って言葉だけで言い切って会話を終わらせてしまうのは、 ある種の壁を感じさせる場合もありそうだなー、と思う。 今思えばだけれど、 「どうして聞いてくれるんですか?」 と、率直に意図を聞いてみるのもよかったのかもしれない。 もしくは、僕は咄嗟に返答することは苦手だから、 後からLINEなど文章で伝えてみるのも場合によってはよかったのかもしれない。 「咄嗟に返す言葉に限度があるのですが、今落ち着いて考えて伝えられることはこんな状況です。」 みたいにLINEをしても、 アニキ先輩なら、理解をしてくれたかもしれない。 前より薬に慣れて、体力がついて楽になってきた。 休日とかも少し元気になってきた。 そういうことが聞きたかったのだろう、 と後からなら理解することはできたから、 そういう回答でもよかったのかもしれない。 薬で足りない要素を足して、薬の調整はうまくなっている。 良くなってきている事をアニキ先輩には以前に話をしているから、 その続きが恐らく聞きたかったんだろうな。 だとすると、 「大丈夫です!」と短く答えるのではなく、 現状のよくなっていっている説明をしても、よかったんだろうな。 後からなら分かるのに、 すぐには答えられないんだよなー、僕は。 薬関係・体調関係の進捗は、 今後も週1~月1くらいで話しかけてもらえるかもしれないから、 次回聞かれたらどう伝えるかを事前に決めておこう。 例えば、 元気が増えた・減ったとか、平日と休日の疲れが減り動ける時間が増えたとか、それを伝えることにしよう。 仕事関係の進捗は、必要な時に毎日聞かれると思うから、それと体調に関しての質問とは別物と考えて答えられるように準備しておこう。 言う事も前もって決めておけば、咄嗟の時も対応できるようになるかもしれない。 仕事中はもう仕事のことで頭ぱんぱんぱん過ぎて、はいかいいえ、レベルのことしか言えんくなるのよなー。 先輩の優しさに、応えられるような自分に、なりたいなー。
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230911_咄嗟に言葉がでなかった、僕もあの楽しい会話に混ざりたかったなー

会社に着くとアニキ先輩の方が先に会社に来て、掃除機をかけていた。 アパレル先輩が、 「アニキ先輩来るの早すぎです!私達後輩は焦るじゃないですか!ねえ、かめたさん。」 と言っていて、 アニキ先輩が、 「おれ早く来て怒られるのー?笑」 って言っていて、僕も笑った。 特に反省すべき内容ではないと思うし、 僕に対して特に周りが何かを思うことがあるわけでもないのは分かっているけれど、 もうすこし、楽しい会話もできたかなー、て思う。 すこし振り返って思えば、 「うーん、困ります!笑」 ぐらいは僕も言ってよかったと思うし、 それぐらいは言えた気もするんだけど、 声出して笑うぐらいが精一杯だった。 もうすこし、くだらなくてとても楽しい会話に、 参加できる自分になりたいなー。 高望みだとは分かってはいるけれど、 望んでしまうものはしょうがないよなー。 なぜこういうのができないのかなー。 いや、できなくてもいいんだけど、 会話の5秒後とかにこれ言えばよかったかな、 とか浮かんだりするから、なんかもどかしいんだよな。 なんですぐには言葉がでないのかなー。 不安とか怖さとかが原因でもなくて、 頭がいっぱいになる感じなんだよな。 脳内多動の時の感覚に近い気がしている。 低血糖症が原因なのかもまだ分からない。 今日は、朝起きた時から頭はスッキリとしていたけれど、 昨日は寝付きがかなりわるく、夜の1時にようやく寝れたから、 睡眠がしっかり取れている時になら、 もしかしたら話せるようになっていくかもな。 僕は疲れや睡眠不足がある時にはいつも以上に話せなくなるから、 睡眠はまずしっかりと取ろう。
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230428_1人で失感情症と離人症に向き合うのはとても寂しい。

僕は受動型asdの傾向がつよく当てはまると思う 失感情症と離人感が常にある。 これがあると全てが無になってしまうようで、 どうにかしたいと思い、取り組んでいる。 これをやれば、 失感情症と離人症はよくなる、 そんな何かがあるのなら、 なんだってやるしどれだけだってやるのに、とそう思う。 連絡をくれて会ってくれる人がいても、 自分は離人感があり距離を近くに感じれない、 連絡くれて会ってくれる人がいても、 自分は失感情症があり話したいこともやりたいこともなく突っ立ったまんま。 僕は、悪人というわけではなくて、だからこそとても扱いづらいやつ。 何も感じなきゃいいのだけれど、寂しさとつらさは感じる。 改善方法はない、と諦めるしかないのかな。 すこしずつでも前向きに改善しようと取り組んでいる人と、 よかったことでも意味なかったって分かったことでも、 前向きに共有しあいたいなー、と思う。 1人で、改善するかも分からない、 失感情症と離人症に向き合うのはとても寂しい。 同じような境遇や取り組んでいる人と知り合いたいな。 1人で誰にも理解されない取り組みしてるのは、すこし寂しい、と思う。 記憶力の無さとか他の特性は受け入れられるけど、 失感情症と離人感があるだけで全て無になってしまう感じがする。 だから、僕はこの特性だけは、なんとか改善したい。 昨日とか、 感情を内省してから動くと、自然と、無意識に行動ができる日が最近あったりはする。 それが、朝起きるとまたすこし遠のいてしまう。 でも、朝起きてから内省してみると、 昔よりは自分との距離が近づいている感じもする。 自分の感情が近い感じがした、調子がいいなー、と感じた日の翌日、 朝起きると自分が遠くなっている。 自分が近くに感じる日ができたからこそ、 またこれか、と残念に思うし、 どうせ変わらないのかな、とも思ってしまう。 けれど僕の周りの人の僕に対する反応は変化している。 きっとすこしずつ、僕も変わっている。 すこし改善したかと思えば振り出しに戻ったような感覚になり、 希望があるのかどうか、、、とまた考えてしまうのだけれど。 1人で向き合うにはあまりに難しく、そして寂しい障害だな、これは。
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230427_受動型ASDの傾向のつよい僕は利用され、いじめられやすい。以前勤めていた会社にて②

緘黙症と失感情症を抱えていた僕は、職場で孤立をしており、 同じチームの先輩からも、好かれてはいなかった。 コロナ下で学生アルバイトの方がいなかったから、 というのも合わさり、僕は努めてから1年半、安月給の長時間労働で、アルバイトの方が普段行っている業務をする、という状況にいた。 経験すら、積むことができない状態が続いていた。 そのままではいけないと、朝は出社時間の1時間前に来てCGソフトの練習を行い、 土日にも出社をして、仕事を前倒しで終わらせて(前倒せばその分仕事がまた来るとも知らずに、、、)、自分でデザインを積極的につくり、来るべきプレゼンに向けて密かに準備をしていた。 自分なりに努めてはいた。 ただ、僕が考えたデザインを発表する機会は、与えられることはなかった。 僕はとても悔しくて、そんなはずはない、 僕のデザインはクライアントの希望も満たしつつ、 会社のデザイン方針にもあっているものだとその時はつよく信じていたから、 会社の共有テーブルの上で、土日をつかい僕はデザインの模型を、毎週末、つくり続けた。 次の日、社長が僕のチームのリーダーを呼び出した。 社長が僕の机に置いておいたデザインを目にして、 そのデザインをとても気に入り、この方針でいこう! と、そういう話をしはじめたのだ。 社長は僕の作ったデザインを大きな声で褒めはじめて、 「これしかないよ、問題を整理したら確かにこの形に行き着く、なるほどなるほど。 僕が担当として考えたらもっと早くこのデザインにたどり着いただろうなー笑」 とそう冗談混じりでご機嫌に話をした。 このデザイン、君がやったんだろ? 社長は僕のチームのリーダーに聞いた。 僕のチームのリーダーは言った、 「はい、僕のデザインです。」 僕はとても驚き、そして緘黙症を抱え、味方もいなかった僕は、 いいえ、それは僕のデザインです! と主張することはできなかった。 人とロクに関わらずに生きてきて性善説をいたく信じていたから、 先輩は先輩できっと何か意図があって、 それであえて、僕のデザインを、先輩のデザインであるかのように話したのだろう、 そう、なぜか信じてしまっていた。 それが、僕が騙され利用されやすかった理由だったのかもしれないな。 社長が事務所から去ったあと、 チームリーダーは僕に言った。 「おい、ふざけるなよ。なんで勝手に社長に見せたんだ?」 僕は、 「社長に見せたりはしていません、僕は土日にデザインの試作品を作っていただけです。そのテーブルの上の試作品を社長が通りかかって見ただけで。」 「あ、そう。とりあえずもういいわ、後おれがやるから。お前のせいでクソみたいなデザインでやらないといけないことになった。」 そう、先輩は言った。 でも、そのデザインは、後々クライアントが見たらとても喜んでくれて、 社長も、まさに問題を整理したらたどり着く形、僕がやってもそうなっただろう、と言ったから会社のデザイン方針にも合っていて、 僕は仕事として大きな誤ったことはしていない、 ただ、先輩のプライドを傷つけてしまった、それだけが問題で。 今思えばだけれど、社長だって先輩だって、そのプロジェクトのデザイン検討には苦戦をしていて、 かなり停滞していたし、クライアントのプレゼン日が迫っていたし、その時の僕はまだデザインについてのつよいこだわりを持てていたから、 いいな、と思えるものではないものは出すべきではない、とそう考えて、毎週末、休まずにデザイン検討をしていた。 誠実な仕事をしていたのではないか、とそう思う。 ただ、失感情症を抱え自分の感情も掴めず、 緘黙症もあった僕は、 会社では僕がやった作業を人がやった成果にされ 自分はその間、また何もしてなかったことになり、 理不尽に社長にまた怒られて何も説明することができず、 すみません、と一言だけがようやく声が出た。 僕のつくったデザインが評価されて、 でもそれは人が作ったことになっていて、 それなのにその人は僕のデザインをクソだって僕に言って、自分は社長とクライアントからの評価だけもらって。 今ならちゃんと、怒りを感じれる。 僕は僕のデザインが好きだったし、今でもいいと思う。 合理的で無駄のない、いいデザインだったと思う。 あの時その場でちゃんと怒りを感じれてたら、 僕は僕と僕のつくったものを守れていたように思う。 それでも、後から振り返れば、、、 じゃあ、いつだって間に合ったりはしないんだよな。 僕は僕を守るために僕をもっと僕を知りたい。 僕は僕を守るために僕をもっと感じるようになりたい。 そして、生きる上では主張することも仲間をつくることも、僕には重要。 そのことを、僕は以前の会社で学んだ。 そして、もうひとつ、 大人数の職場では、 会社から評価をもらうためには、 上司に好かれないといけないことを学んだ。 いい仕事をすれば、会社から評価をもらえるわけではなく、 上司に好かれ、僕が評価を受けることが上司にとってもメリットがある状態になり、 初めて評価をもらえる、ということを学んだ。 そして、そんな器用でもない僕は、 次の職場では、社長が直接僕の仕事ぶりを見てくれるような、 小さな事務所で働くことを決めた。 それが、今僕が働いている職場。 緘黙症は和らぎはしたけれど、相変わらずうまく話せたりはしない。 けれど、うまく話せはしなくても、直接仕事を見てもらえる分、 以前よりは評価をもらえている、気がする。 つらくても、続けることで、 すこしずつ自分に合っている職場にたどり着けているのかも、しれない。 苦しい思いをして生き続けてきて、 その今までの何もかもが無駄だったなんて、 そんなことはないよな。そう信じたい。
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230427_受動型ASDの傾向のつよい僕は利用され、いじめられやすい。以前勤めていた会社にて①

主張がない人はいじめられたり、利用されたりしやすい。 それは、僕が生きてきてとてもつよく感じてきたことだ。 受動型asdの傾向がつよく、失感情症と緘黙症がある僕は、 いじめにもあったし、会社では利用もされてきた。 以前に勤めていたデザイン会社では 僕が提案したデザインを、先輩が提案したデザインだということにされてしまった。 主張がよわく、積極的なコミュニケーションも取れない僕は、 先輩から好かれるということもなく、 仲のいい同僚をつくり、安全な立場をつくことができなかった。 そのため、デザインに直接的に関わる仕事は回してもらえずに、 模型作りだけを行う日々を過ごしていた。 コロナで学生の方のアルバイトもいなかったため、 通常はアルバイトの方に頼む作業のほとんどを僕が行う形になり、 給料も低いまま、経験すら積めず、1年半が過ぎていた。 ある日、2億円以上の金額が動く大きなコンペティションの、 プレゼン素材としての模型作りを僕は担当することになった。 アルバイトも頼めない状況で、大きな模型を1人でつくる。 到底簡単にできる作業ではなかったのだけれど、 信用を得られていない状況でこの模型作りが失敗に終わったら、 もうここでは働けない、辞めさせられる、そう思い、 週2日徹夜して、土日にも出社をして仕事に取り組んだ。 完成度は、我ながらなかなかのものだったと思う。 結果的に、CGなどの追加資料もなく、 そのコンペには勝つことができたのだから、 僕の模型は客観的に見たってなかなかの完成度だったのだと思う。 4週間ほどかけ、徹夜をして、土日に出社しても、 細かな部品作りにもアルバイトの方の手も借りられない状況では、 細かな部品から自分でつくる必要があり、その模型作りにはとても時間がかかった。 この模型、かなり作るのが大変なんだ、 それをみんなに伝えることができたら状況はすこし違っていたのかもしれないけれど、 緘黙症を抱える僕は、黙って作業をするしかなかった。体に無理をして、 平日は徹夜して、土日も両方出勤して、 作業を続ける以外の選択肢が僕にはなかった。 そして、終わらせた。 提出日の1日前には、先輩2人が、僕の手伝いに入るように社長から言われていた。 先輩2人は、2人ともに、とても嫌そうだった。 はじめは模型作業を一緒にやってくれるのだけれど、 23時をまわり、模型作業をしている僕を含めた3人以外の人が帰りはじめると、 おもむろに寝袋を取り出し、模型作業をやめて寝てしまった。 ぼくは、いや、模型作業をしましょうよ、とも言うこともできずに、 もういいから、僕は寝ないでなんとか模型作業を終わらせないと、 とそう思い、寝ずに、最後の仕上げを施して、模型作業を終わらせた。 模型作業を終わらせた頃、周囲はもう明るくなっていた。 6時頃に目覚まし時計が鳴り、模型作業を途中でやめた先輩が、 起きてきて僕の模型を見て言った。 「模型の写真と動画は取れないだろうからおれが撮るよ、手伝って。」 そう言われた。 僕は一睡もしてないし、眠いや、と思ったけど、味方のいない立場の弱い僕はそれも言うことはできずに、 はい、やりましょう、とだけなんとか声に出した。 模型写真の動画を撮り終えると、先輩は、 「よし、おれから社長に動画と写真は送っておくから、仕事に戻っていいよ」 僕にそう言った。 スマホで時間を確認すると、時間は始業時間の2時間前になっていた。 ああ、徹夜してつくっても、褒められも、労いもなく、 でもきっとそれは僕ができない人間であるせいなのだろう、 と自責傾向のつよい僕は、そんな状況でも僕を責めた。 そして翌日、僕は社長から呼び出された。 社長から見向きもされず、ようやく呼ばれた僕は、 もしかしたら、 模型作りのできがよかったから、間に合わせることができたから、 働いてきて初めて、褒められてしまうのかもしれない、そう思い、 内心るんるんとして社長の下に向かった。 部屋に着くと、僕はどうしてか、社長に怒られた。 「この4週間、何をしていたんだ?模型作りを舐めるなよ。」 そう言われた。 僕は、なんのことか、理解ができずに頭が真っ白になり、 「ごめんなさい。」その言葉だけをなんとか声に出した。 後から聞いた話によると、 模型作業の完成度は申し分なく、 しかし、その模型は手伝った先輩2人がほとんどつくった、 と先輩が社長に報告をしていたらしいことが分かった。 そうして、じゃあこの4週間、僕はなんの仕事をしていたんだ?ということになり、 何もしていない、ことにされたのだ、ということを他の人から聞き、知った。 今なら思う、何もしてない、なんてそんなわけないじゃん。 謝っちゃったら、利用してきた人たちの言ったことが正しいことになっちゃうじゃん。 それでも、自分の感情にも気づきづらい失感情症の僕は、ただ、謝ることしかその場ではできなかった。 何もしていない、そんははずはないじゃあないか。 そう今なら思うけれど、先輩が自分に都合のいい報告をすることで、 僕は2億円のコンペに勝てる模型をつくったのに、 誤差だって0.25mmもないかなりの精度の模型を作り上げたのに、 平日は週2で徹夜して土日も出勤して期限に間に合わせたのに、 僕は何もしていない、怠惰なやつ、という評価を得ることになった。 そこまで理不尽な状況に置かれていたのにも関わらず、 歯を食いしばり耐えることがクセになっている僕は、 何も文句を言わずに、歯を食いしばり、ストレスと睡眠不足でひどい頭痛を抱えながら、 徹夜明けの翌日も、社長に怒られた後に、定時まで働いた。 失感情症もひどかったから、その場では怒りを感じることもできなかった。 怒りを感じることができないと、身を守ることができないのだな、 と、今なら理解ができる。 緘黙症も抱えていた僕は、人に相談することもできなかった。 ただ、一人で漠然と掴むこともできないストレスを抱え、働き続けていた。 もう同じ思いをしないためにも、 失感情症も緘黙症も、寛解させないといけない。 自分を守るために。
かめたのコツコツ発達日記

230425_僕の抱える失感情症は改善できる、そう信じることにする

失感情症についてネットで検索をすると、 失感情症は性格特性であり、決定的な改善方法はありません、 と、そんな風に結果が出てくる。 そんな救いのない書き方しないでくれよ、とそう思う。 科学的な根拠とかはいらないから、 当事者さん達の体験とか改善した話を聞きたいなーと思う。 希望がほしい。 失感情症の改善は難しいです、と言われても、そこが僅かでも良くなっていかないと、 楽しむ、なんて到底できやしないよな。つらすぎる。 自分の気持ちが掴めない。やりたいことが分からない。 結果的に主張も選択も難しい。これが今の僕の困り。 ただ、日々起きたことを記録していくと、 楽しい場面もあったことが分かる。 けれど結局、感覚は遠のくし記憶もされづらい。 自分が遠い感覚、この感覚をどうにかできないもんなのかな。 改善して行った人の話を、聞きたいな、と思う。 自分は健康な体、勉強すれば理解できる脳ももらっていて、 人と全く関われていないわけでもない。 失感情症のみがつよくある。 このことで、楽しめず、人と関われず、  やるべきことをひたすらやるだけの人生なんだけど、 このつらさを一般の人には共有できない。 本当につらい。 けれど、感情のタグ付けを行い、一日を振り返ると、 今日一日で自分にかなりの進歩があったことに気がつき、 楽しいことがあったことにも気がついてくる。 なぜかそういう時には、不思議と今は頭がスッキリとしていて、 地に足がついた感がある。 自分はおそらく発達障害を抱えていて、 慢性的な頭のモヤ、ブレインフォグみたいなものがあるのだけれど、 自分の感情に言葉を当てはめ記録する感情のタグつけを行った時に、 頭のもやがスッキリとすることがあるのから、何か関連はあるのだろうな。 失感情症は改善する、そう希望が持ちたくて調べてみると、 感情や感覚は、何かを経験した時に、 それを言葉に当てはめていくことで理解し、学習した結果として、 認知できるようになるものでもあるらしい。 感情は学習によって感じることができるようになるのならば、 学習すれば、感情もタイムラグ無しで感じ取れるようになるんじゃないか、 そう期待を持つこともできる。期待を持たないと、僕は動けなくなる。 だから、一旦そう仮定して、信じてみることにする。 僕は、僕の抱える失感情症は改善できる、そう信じることにする
かめたのコツコツ発達日記

230423_いいなーと思っている子と意を決して会ってきた。。。➁

いいなーと思っている子と会っていた。 会っていたのだけれど、途中で僕は余裕をなくし、家に、帰ってきてしまった。 帰ってきて、壁にもたれかかり、ひたすらに僕は泣いた。 普通の人間になってからやり直したい。 僕は努力してるのに。 なんで当たり前がこんなに遠いのだろうか。 人より時間をかけて、神経だってつかって、何事にも準備をしてるのに。 人と関わるのはもう諦める。懲りた。 勉強する。ひたすら勉強する。 みんなみたいにできない。だから、僕にできることをする。 今世ではみんなみたいな楽しみ方はできない。 けれど、何一つできないわけじゃない。 やれることをやる、以外に僕はできない。 楽しいことなんてないし、死にたいけれど、死んでも意味がないからやる。 普通になりたいってなんでこんなに遠いのだろうか。 高校の頃だって、寝ずに勉強して国立大学に入って、 社会人になってから厳しい月給でも、土日も休まず働いて、 普通の人には必要のない努力も続けて、なぜか今、引きこもり手前。 なんで、生まれつきの何かの要素が一つ足りていない、 それだけでこんなことになるのだろうか。 人より記憶力もない、集中力もない、 だから何事にも時間注いで無理をしてここまで生きてきたのに。 また高校の時に振り出しだ。 人ができないことをやればいつか人が寄って来てくれる。 そう信じて死ぬ気でやって来て、人は僕の元へは来なかった。 今日は、ごく普通の魅力的な人と会って、 全くもってごく普通に話せなくて。 けれど、もう他にやれることなんてない。 また、死ぬ気で資格勉強に取り組む。 僕にやれるのはそれだけだから、もう死ぬ気でやる。 そう、ひとしきり泣いて、すこし落ち着いた頃に、 その子から電話があった。 「わるかったと思うけれどさ、そんなに怒り続けなくてもよくない?」 そうその子に聞かれて僕は、あれ?僕はもう怒っていないよ?と不思議に思い、 その時にようやく、あれ?僕といたくなかったわけではないのかな? と、自分のしていた誤解に気がついた。 「いや、もうもちろん怒っていないよ?あえてさ、この後どうする?って聞かれたからさ、ほら、僕うまく話せないからさ、僕といたくないから、そう聞いたのかな、って思って。」 そう僕が言うと、 「うん?いや、どうするか、そのまま聞いただけだよ?それで帰ったからさ、まだ怒ってるのかな?って思って。うーん、どうしたいか分からなかったから、素直にそのまま聞いただけなの。どうしたいかな?って。」 そうだったのか、と単純にそう思った。 もし、今、それでも行かない、とそう言えば、 もうその子に会える機会はないのだろうな。 そう思い、 「勘違いしてた。うん、今すぐ行く。うん行く!」 とそう言って、すぐに服を着替え、家を出た。 もう自分でも、何をしてるんだろう、とそう思った。 思った。 自分がしていた勘違いに気づいて、すぐにまたあの子のいる駅に戻ることにしたけれど、 この勘違いは発達障害によるものなのかな?認知の問題なのかな? もうよく分からないや。 でも、もう自分は人より劣ってるからとか自分に言いたくない。 僕は人と違う、というそれだけだし、人が楽しいと思うことが楽しめないだけ。 自分が劣ってるなんてもう自分に言ってあげたくない。 だってやってるもん。頑張ってるもん。 とりあえず、自分から人を避けたり離れるのはやめる、 それだけはもう決めたから、向かう。 苦しいけど失敗を重ねるしかない、もう。 それしかないから、向かう。 向かいの電車で日本酒がおいしいお店を探して予約を済ませた。 そのお店の日本酒はおいしいものばかりで、 いくつもの種類の日本酒を試すことができる楽しさがあって、 この日本酒好きかも!イマイチかもー、そんな話をするその時間は予想外に楽しかった。 自分は発達障害だと思うんだ、とまでは言わないけれど、 自分は高校生レベルで精神が止まってるんだ、 経験がないんだ、お金もないんだ、 と、自分が思う自分のネガティブな面についての全てをその子にも話した。 「だから?今楽しくないの?」 と、そう聞かれて、 「飲んでる今もおいしく食べてくれるのも嬉しい。」 て答えたら、 「ならいいじゃん。」 って言われて、確かにそうですね、と思いその話はそこで終了。 日本酒の話をしたり、その子の会社での話や休日過ごした楽しい時間の話を聞いて、飲みの時間は過ぎていった。 帰りの電車で、改めて決めることにした。 もう、自分の方から人から逃げるのはやめることにしよう。 それだけは決めよう。 一人の人と会うだけでもこんなにも苦しいけれど、 それだけは決めよう。逃げるのは、もうやめよう。
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230423_いいなーと思っている子と意を決して会ってきた。。。①

いいなーと思っている子と、意を決して会ってきた。 当初の予定だと、昨日から会う予定だったけれど、 ドタキャンをされてしまい、昨日は電話でその不満を伝えていた。 その上で、やはり会いたいなーとは思ってしまい、 のこのことその子の住んでいる地域に電車で向かう。 僕の住んでいるところから、その子の住んでいるエリアまでは1時間30分ほどかかる。 その子は14時から18時くらいまでその子はお仕事だったから、 僕はその子の職場の近くでお昼を食べ、その子は仕事に向かい、その間に僕は適当に時間を潰し、また合流して飲む、そんな予定だった。 前日から一緒にいるならまだいいのだけど、前日から一緒にいるのはドタキャンになって、それで遠くまで行って昼ごはんだけ食べて待つのはなんだかイヤだな、というよりなんだか自分が情けないな、とそういうモヤモヤとした気分になっていた。 モヤモヤとしているし、昨日のドタキャンはイヤな思いもしたけれど、 それでも会いたいと思って相手の近い場所に向かおうとしているのが、 うん、やはりなんだか情けなかった。 その情けないな、という気持ちを抱えたまんま、 その子との待ち合わせ場所にたどり着いた。 ドタキャンに関しても、そんなに怒ることではないと思うし、 一般的にもそうではない、ということが分かったから、 すこし、自分からふざけて空気を壊していかないといけないな、 そう思って、話しかけていくことを決めた。 「昨日はめんどうくさくすみません (笑)」 その話出しからはじめて、 「まあね(笑)、まあいいじゃん!」 そう言われて、 一緒にカレー屋さんに向かった。 カレー屋さんに行っても、 やはり、緘黙症を抱える僕はうまく話をすることはできなかった。 それでもその子は話を沢山してくれた。 僕は話せず、聞くことしかできなかった。情けなかった。 緊張も不安もなかった。 それなのに、自分の中には一切の言葉も見つからない。 なんだってやるしやってきたのにこいつだけどうしようもない。 本当に情けなかった。 カレー屋を出た後、駅へと向かうその途中、 その子に、仕事を終えた後にまた飲めたりするかな?そう聞かれて 「このあと、どうするー?任せるよ?」 そう聞かれて、 そう聞くと言うことは 相手がもう僕といたくないないのだろうな、 当然だよな、僕はまるで話せなかったんだもん。 そう思って、 「申し訳ないから帰るよ」 と返したら、 その子はとても驚いたような、なんでよ?という顔をして、 「まだ怒ってるの?」 とそう聞かれた。 僕はあれ?いや、僕といるのがもうイヤなんだと思ったから、 帰るよ?と言っただけなんだけど、あれ?違ったかな? とそう思い、でも確認できるだけの余裕がなく、そのまま家に帰った。 靴を脱ぎ、下だけ部屋着に着替え、壁にもたれかかるとそのまま泣いた。 消えてしまいたかった。
かめたのコツコツ発達日記

230911_僕の抱えるASDを活かし、服薬をルーティン化する、正し注意点あり。

ADHDの不注意傾向もある僕だから、薬の飲み忘れを防ぐために、 100均で薬ケースを買って1日に飲む量をまとめている。 毎週日曜日の、今週飲む薬をまとめる時間を決め、まとめるので、 ピルケースに薬をまとめ忘れることも無くなったし、 薬の飲み忘れもかなりなくなった。 ADHDもある僕なので、朝は出発の支度にどうしてもバタバタとしてしまうから、 朝の時間にどれだけやるべきことを減らすか、ということも重要なので、 前日の夜や比較的時間のある土日に事前に準備をができるのであれば、それを済ませておく。 ちなみに、ピルケースの写真はこんな感じ。 コンサータ、ストラテラ、エビリファイを入れていた。 そして僕も知らずにやっていたけれど、1点大きな注意が必要なことがあるみたい。 コンサータをピルケースに入れる際には、写真のように、 PTPシート(薬のカプセルとか錠剤が入ってて、押すとカプセルとか錠剤が出てくるシート)から取り出しては、いけないみたい。 コンサータは徐放剤という徐々に薬剤が体に放出される仕組みらしく、 湿気の影響を受けることでその仕組みに悪影響を与えてしまうため、 PTPシートから錠剤を出して保管などすることは推奨されていないようです。 そのため、コンサータをピルケースに入れて管理をする際には、 PTPシートをハサミなどで1粒分ずつカットして、PTPシートごとピルケースに入れる、 もしくは、コンサータ以外の薬やサプリのみをピルケースで管理する、などもよいかもしれません。 薬の飲み忘れもしやすい僕だけれど、上記の服薬に対する対策のように、 発達特性による1つの困りに、一対一対応で対応策を考え、 生活の困りを改善していくことを2023年の5月頃より続けている。 すこしずつ対応策が増えていき、 発達障害の特性由来の困りに嘆くことは段々と減ってきたように思う。 発達障害の受容ってやつが、自然とできてきているのかもしれない。
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230913_会社で僕は初めて涙が出てしまった➁

アニキ先輩が、僕がなぜ自分の思っていることを言わないのか、言えないのか、 気にかけてくれた。 「思ってることは言っていい。体調がわるい時はわるい、とそう言っていいんだよ。」 しっかりと答えたくて、答えた。 「僕は、みんなと感覚が違う場面が多いんです。 例えば、みんなが「疲れたー」って言う時は、疲れてない状態から疲れるから「疲れたー」と言うんだと思うんです。 でも、僕はずっと疲れているので、もし疲れている時にそれを言うなら、僕は「疲れたー」ばかり言う人になってしまいます。 だから、みんなが「疲れたー」、と言う時にも、きっとその疲れは僕の疲れとは違うから、 それで、僕は、共感する「疲れたねー」を言うのは適切ではないと思い、咄嗟に出てこなくて。 そういう、みんなとの大きな感覚のズレが色んな箇所にあり、どんな感覚までが普通なのか、どこまでが変と思われるのか、判断できずに黙ってしまうのです。」 と答えた。 アニキ先輩は、 「感覚はそもそも人それぞれ違うから、やはり自分の感覚で話していいのだと思うのだよな。 みんなとは感覚が違くても、おれに対してぐらいは、今日ドーパミン足りないっすわ、ぐらいのことを言ってくれてもいいしさ。 とにかく、一人で抱えたりしない方がいいと思うんだ。 やはり人間はさ、どうしたって言葉にしないと伝わらないからさ、」 アニキ先輩はイケメンで、仕事ができて、遊びもできる、本当のかっこいい人で、 ああ、 本当に優れた人って優しい人でもあるんだな、 誰とでも、立場関係なく対等に話すことができるんだな そう思えるような人で。 こんなに優しい人が、ここまで言ってくれても、 まだ僕は、自分の思うことを、うまく言葉にできない、表現できない。 なんなんだろうか、僕のこの言葉の出づらさは。 原因は発達障害だけではないのかな。 なんなんだろうか。 ああー、僕だってその気持ちに応えたいのに。 変わりたいよやっぱり。 続けて、ポジティブなことも言ってくれた。 「うーん、おれは長くは悩まない性質なんだよなー。悩んでも事態は好転しないからさ。 例えばさ、今までずーと大変だったかもしれないけれど、薬の調整でよくなるのかもしれないし、何かが起きて急激に今までの分が報われました、なんてことも起きるかもしれない。どう考えるのがいいのかは分からないけどさ、もっと楽しいな、って思えるようになれたらいいな、と思うんだよな。」 「実は僕は自分の感情も掴みづらくて、楽しいとかもなかなか分からなかったんです。土日にも疲れて一日寝ていることが多かったから、みんなが経験している経験もしたこがなくて。ただ、最近は薬の調整もすこしできてきて、出かけたりすることもできてきたので、すこしずつこれからだ、とは思っています。」 「そうか、なるほどな。薬でよくなっていく、それは本当によかったよさ。 分かった、それでさ、どうしていこうか?」 そう聞かれた。仕事に関しての話について聞かれているのが分かったから、 「みんなと同じように僕は仕事がしたいので、通常通り仕事をします、、、あ、いや!今までできていなかったのだから通常通りじゃだめですよね。よりよくもっと仕事をしていきます、、、」 と言うと先輩は笑って、 「いや通常通り仕事しますでいいだろ。笑   分かったよ、仕事していこう、無理はしないで、体調わるい時は報告するように。」 そう先輩は言ってくれたから僕は、 「はい。分かりました。やっていきます。」 そう、先輩に返した。 僕は、発達障害を抱える者として、 もっとも有難い形での理解と配慮をもらえているのかもしれない。 本当に、人には僕は恵まれている。
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230913_会社で僕は初めて涙が出てしまった①

今日、初めて会社で涙が出てしまった。 ADHD由来の脳内多動もある僕は、 日中の眠気は服薬により抑えている。 昨日は21時前までの仕事で帰りが遅く、 十分な睡眠時間が取れなかったためか、 コンサータを飲んでも眠気が取れず、 作業にも集中できず午前中に寝てしまった。 午後、アニキ先輩が声をかけてくれた。 僕は、頭がいつも以上に回らずに、 言葉がまるで出てこなくて黙ってしまうと、 アニキ先輩は、 1人で抱えないでどんなことでも話してみたらいい。 調子がわるい時は、調子がわるいと報告してくれていい。 おれに話しづらければ、他の誰かでもいいし。 そう言ってくれても今日は脳内多動が酷く言葉が出てこず、 まあ、無理しておれに話さなくても大丈夫だよ、 と、そう言わせてしまった。 違う、アニキ先輩に言いたくないわけじゃない、 それだけは伝えたくて、先輩になんとか話をした。 「今日は、どうも薬の効きがわるいのか、頭がうまく回らなくて、それで言葉も出なくて、アニキ先輩だから言えないわけではなくて。 言えなかった理由は、僕の調子のわるさは、内服してる薬の副作用だったり、元々の作業整理の難しさだったり、記憶のできなさなので、一時的なものとは限らなくて、だから、それを言えば改善の余地がないと思われ働けなくなるのではないかと怖くて。」 そう言いいつつ、涙が出てしまった。 「働きたくて、僕もできるようになりたくて、でもできなくて。経験も忘れてしまうから帰ったら全てをメモして、僕は模型の作り方すら、体で覚えられず忘れるからやり方を全てメモして、作る前にメモを読んで思い返してから作るんです。でも、追いつかない時があって。」 そう伝えた。 「かめた君がすこし人と違うところがあるというのは薄々みんな気づいてたことだし、その理由がハッキリしたところで辞めさせられることはないよ。 むしろ、こちらもどうしたらいいか分からなかったから、つらそうにしている理由が分かってよかったよ。 それとさ、かめた君のやりたいという意欲も感じている。 あくまで仕事だから、かめた君に求める基準は下げたりしないよ。基準を下げてほしいわけではないって言っていたからそれで大丈夫かな?だけどさ、かめた君は、初めての作業だからできていないところもある、それぐらいしか今は感じていないよ。」 そう、アニキ先輩は僕に言ってくれた。 障害を抱える僕を障害者扱いをせず、みんなと同じ基準を求めつつ、 その基準から僕は外れていたりしないよ、そう言ってくれて、 僕はとても嬉しくて泣いた。 「僕は、障害を抱えているからといって、仕事に求める基準を下げることはできない。それはかめた君の望むものでもないと思うから。だけどさ、それと体調がわるいことは、無関係だから休んでいいんだと思うんだよ。その頻度が人より多くてもしょうがない。無理して働いてもパフォーマンスは落ちるから、そのために休む。障害を抱えているから、ではなく、誰もが体調が悪い時には休むべき。だから、今日は定時ですぐ帰って、明日、ベストのパフォーマンスに調節できるようにして。むしろ帰りなさい!笑」 そう言ってくれた。 先輩は僕が障害者だから配慮をくれるわけではない。 僕が障害者だから、 何かを甘く見てくれるわけでもない。 疲れや体調不良があるならば誰もが休むべき、だから僕も休むべきだよ、と みんなと同じただの人として、 僕に配慮をしてくれている、ただそれだけ。 会社で僕は涙を流しながら、はい、と答えた。
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230423_明日、いいなーと思っている子と遊ぶ予定。。。「遊ぶ」ってそもそも何?

明日、いいなー、と思っている子と遊ぶことになっている。 なっているのはいいが、僕は、遊ぶ、ということがよく分からなかった。 また、元々は今日、僕の家にその子が来ることになっていたけれどドタキャンをされたから、 そのことをどう捉えれば良いのか、それも分からなくなっていた。 パニックになった僕は、大人になったのに恥ずかしいけれど、母に電話をかけて相談をした。 母に電話をさせてもらい、状況の整理を手伝ってもらった。 母は、 イライラしてしかるべきだけど、そこまで深刻なことはされてはいないよ。 僕に落ち度はないけれど、怒り続けはせずに、 切り替えて許してもいいことだと思うよ、 とそう言われて、なるほどやはりそうか、と思う。 以前は自分の怒りにも鈍感だったけれど、 いざ感じた後にはどうしたらいいのか、 僕は分からなくなってたいたのだと思う。 怒りを感じ、怒っていることは伝えて、 それでも怒り続けはせずに許す。 怒りを感じれたこともなかった僕には、 そんな当たり前も初めての経験だった。 初めて感じた怒りに対しての対応方法については考えられたから、 今度はよく分からない「遊び」について、考えることにした。 「遊び」が何をすることなのかは分からないけれど、 その子と会いたいなー、って気持ちは僕にもありそう。 けど、いざ会うと、何したいかも何言いたいかも自分の中に見つからなくて、 言葉を発せなくなる。相手も困る。 僕は直接的にわるいことをするわけではないから、 あなたはわるい人だね、とはならない。 ならないのだけれど、 あなたはいい人だよね、と、それだけ言われて人といられなくなっていく。 わるい人なんかよりタチが悪いのではないか、とすら思う。 考えていると、 その子と会いたいな、という気持ちも消えてしまいそうになる。 僕には、自分はひとりでいてこれをすることが楽しいー、 もないし、 うるさくてこれがいやだなー、とかの嫌いなもの もない。 人といたい、けど人といて何をどのタイミングで何をしたらいいか、分からなくて。 僕は、会う約束をドタキャンされて不機嫌さを表現して、 僕は、それでもなお明日は会いたいと言う どんな顔を用意していけばいいのか、 会うこともどんどんと怖くなってはいくけれど、 もう、自分から人から離れていくことを繰り返したくなんてなかった。 もう、いい加減にこの人生を変えたくってしょうがなかった。 とにかく、明日は会うことに決めた。
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230911_僕の抱えるASDを活かし、家事や掃除などを日々やるべきことをルーティン化する

ここ最近、毎日行う家事や生活の動作をルーティン化し、Googleカレンダーに記録をしている。 僕はADHDを抱えつつ、ASD傾向もあるので、 決めたルーティンを守るのは比較的苦でないのだと思う。 ただ、ADHD由来の短期記憶の弱さのせいか、PTSD由来の健忘症のせいか、 ルーティンを設けてもそのルーティンを忘れてしまい、 結果的に継続できない、というところがあった。 また同時に、ADHD由来の作業整理の苦手さもあるため、 家事や掃除など、日々やらないといけないことをこなすことが難しく、 紙に書き出して、目に見える形にすることでやるべきことや、手をつける順番を 整理しやすいことがわかったけれど、 日々やらないといけない作業を毎日書いていくのは時間がかかり難しい。 特に、平日の、働き疲れ帰った後にメモに書き出していくことは、 易疲労性もあり疲れやすい僕には簡単にできることじゃあない。 そこで、Googleカレンダーに、 朝の起きてからの支度や夜の寝る前の支度、部屋の掃除の仕方など、 こと細かに記録に残すことをはじめてみた。 これが、とてもいい。 作業の抜けが無くなるし、何をしようかな、何かし忘れていないかな、 そんな風に考える時間が無くなるから、作業もすぐに終わり、時間に余裕が生まれる。 Googleカレンダーのいいところは、 ・「定期的な予定」という毎日や毎週など、繰り返し表示される設定ができること ・その予定にはメモの書き込みができること ・そのメモは「これ以降すべての予定」を変更、という保存方法があること 「定期的な予定」に家事や掃除など、日々やらないといけないことをこなすことを 具体的に書いておくことで、毎日作業メモをつくったりする必要が無くなり、 家事を行う前に作業をメモに書いて目に見えるようにする、という手間が格段に減る。 またこの繰り返しの機能は、平日だけ、週末の土日だけ、月・火・水だけ、1週間毎、3週間毎、に繰り返すなど、 曜日や頻度などの繰り返しの設定を変えることができるため、僕は仕事のある平日と休日で異なる生活のルーティンの設定を行っている。 また、予定ごとにメモを書き加えることができるため、予定の詳細を下記加えることができる。 例えば僕は、06:30から朝食を食べるルーティンにしているが、 曜日は「月火水木金の平日」、繰り返しの頻度を「毎週」、 予定のタイトルを「朝食」として、メモには下記のような内容を記している。 ●タイトル:朝食 繰り返し設定:平日 毎週 繰り返す  □06:30~06:35:プロテイン+牛乳100mlを飲む※低血糖症対策 □06:35~06:35:保湿オイルを塗る □06:35~06:55:朝食 ・セメント400g ・卵1個 ・納豆 ・インスタント味噌汁+乾燥わかめ3g ・バナナ □06:55~07:00お薬&サプリメント ・お薬 ストラテラ40g×3 コンサータ27g×1 エビリファイ1mg×2 ・サプリメント 葉酸 鉄分 亜鉛 マグネシウム ビタミンB ビタミンC □07:00~07:10:髪を濡らし乾かしドライヤーかけワックスつける □07:10~07:15:歯磨き □07:15~07:25:着替えて鞄の準備 ・服を着替える ・ハンカチを持つ ・香水をつける ※外出する予定がある日は着替えを追加する □07:25~07:30:弁当におかずを詰めて鞄に入れる、ココナッツオイルを流す このように詳細のやることはメモに書き込んで、 順番を変えた方がより効率的だったり、抜けている作業があったりしたら、 内容を変えたり修正指定き、ルーティンをすこしずつよりよいものにしていく。 また、「これ以降すべての予定」を変更、というメモの保存方法を行うことで、 その日以前の予定のメモは変更せず、その日以降の予定のメモのみ変更させることができるので、 そういえば、1カ月前の習慣がよかったけれどどんな予定だったかな?と気になれば振り返ることもできる。 目に見える形で日々の作業の記録と修正が行えるため、 日々、より効率のいい家事を行うことができるようになり、時間に余裕が生まれてくる。 もちろん、発達障害の当事者である僕も毎日このルーティンの通りに動けるわけでは決してなくて、 仕事から疲れて帰ってきて3,40分動けなかったり、朝なかなか起きれなくて時間が過ぎてしまったり、 そんなことはよくあることだけれど、 指標があるだけで、やることリストが目に見えるだけで、 生活のしやすさは格段に上がる。 日曜日の寝る前には、ピルケースに薬を月火水木金土 分を入れておく習慣をつけたけど、 そのおかげで薬の飲み忘れはほとんどなくなってきている。 合う人には、とても合う方法になると思う。 ASDとADHD混合の僕のような、 ルーティンを設けても忘れるADHD特性がありつつ、 ルーティンを好むASDも抱える僕のような人の参考にしかならないかもだけど、 Googleカレンダーにルーティンを記録し、修正し、 日々のルーティンをすこしずつよりよく更新していく方法、 もし、誰かの何かの参考になったら嬉しいな。 発達障害に関わる薬の調整が終わったところで、 薬以外の生活の改善方法を試すことができるようになってきている。 コツコツと、生活は改善されている。 具体的な方法を試し、記録して、 自分に合ったルーティンを組んでいこう。
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230422_全てを持っているあの子と何も持っていない僕③

いいなー、と思っている子が、その子の方から毎晩電話をくれる。 そんなにか嬉しいことはそうないはずだと思う。 だけれども、僕は電話をもらう度に、気持ちも落としていた。 電話は、嬉しくて、楽しくて、 だけれども、その子の話す「日常」の「当たり前」の話には、 僕が物心ついた頃から憧れ続けていた人や事、物に溢れていて、 そしてその話し方は決して自慢げではなかったところに、 それらがその子にとっては本当に、「当たり前」のものであったんだ、ということをつよく感じた。 その子は、本当に人が好きで、人に好かれていた。 優しくて、人のことも考え、実際に行動しているその子が、 人に好かれていることにはなんの疑問も抱かないし、 嫉妬のしようすら、そこにはなかった。 その日、僕は、もう会うのをやめよう、 その話をするつもりだった。 あまりに釣り合わないし、僕と会うことのその子のメリットが見当たらずに、 申し訳なさでいっぱいになっていたから。 僕は僕で、勝手にもう限界だった。 電話をくれた時、僕はいきなり話をはじめた。 「実はさ、僕メンヘラなんだよね。」 そう切り出してすぐ、 「うん。知ってるよ?」 そう返ってきて面を食らう。 「ああうん、そうだよね。それでさ、この間さ、話した結婚とかについて、僕も真剣に考えたんだ。結婚はさ、子どもを育てることを見据えてするものだと考えていて、それに今の僕の仕事は間に合ってない、そう言ったじゃない?」 「うん、そう聞いたよ。」 「それでさ、それだけじゃなくてさ、僕は、仕事もできていなくて、稼げてもいなくて、ロクに友だちもいなくて、遊ぶということもよく分からない。話すのも上手くない。何もなくて、僕から見たら、魅力的な人と僕が関わっていることそのものがおかしくて、そんな僕が結婚なんて、到底間に合ってないいないと思う。結婚を前提としていないと付き合えない、そう聞いているけど、僕は自分には到底間に合わせられないような魅力的な人と僕が結婚するなんて考えられないし、 結婚を考えているフリをして付き合うこともできない。 だから、会うのはちゃんと自分からやめないと、 そう思っている。」 長々と、そう伝えた。 そしたら、なぜかとても笑っていた。 一般的には深刻なムードになるような話をしたつもりだったから、また面をくらった。 「なんかややこしくしてしまったみたいだから、 それじゃあ友だちってことでいいんじゃない? 前にさ、私の生活と自分の生活を比べてしまう、 そう言ったけれどさ、 まあ、そもそも私はやりたい仕事をやっているならそれでいいと思うし、 それは私にはできないことだからすごいなー、と思ってる。 私自身は生活費に困ってないから相手にお金を求めているわけでもないし、 気にすることなんて何もないとは思うんだけど、 結婚ということが気になって比べてしまうなら、 友だちってことでいいんじゃないかな? それであれば会うのをやめるとか、しなくてもよくなるんじゃない?」 そう言われて僕は、なるほどそうなると問題はないな。 そう、間の抜けた調子で思い、そのまんま 「うーん、確かにまあそうか。」とそう返した。 その話の後は他愛のない話をした。 その子の会社での話を聞いた。 気になったところは質問をして、たまには調子をずらして冗談を言い、笑った。 結婚するとか、付き合うとか、 もう考えなくていいのか、 そう思うと荷が降りた感覚とともに、なぜだかモヤモヤな感覚も覚えた。 そして、そのモヤモヤがなんなのかはよく分からないまま、ひとまず眠ることにした。
かめたのコツコツ発達日記

230422_全てを持っているあの子と何も持っていない僕②

いいなーと、そう思っている子がいる。 その子とは、去年2022年の11月頃に知り合った。 それから今日に至るまで、毎晩のように電話もしているし、 毎週会ってご飯を食べたり出かけたり、 クリスマスの日も一緒に過ごしてくれた。 付き合っている、といわゆるそういう関係だったのかもしれないけれど、 付き合うには至らなかったのは、僕の自尊心のなさが原因だったのだと、そう思う。 その子とは、何回目に飲んだ時だったかな、 2件目の飲み屋で、付き合うかどうか、 とそういう話になった。 その時に 「結婚願望はある?」とそう聞かれた。 僕は、自分の仕事が不安定である自覚があったし、 30までは、自分の将来の仕事、そのための技術をつける時期だと考えていたし、 その技術すら、ロクについていっている感覚がなかったから、 結婚、なんて到底考えることはできなかった。 「うーん、そうだな。僕は、結婚は子どものことを見据えてするものなんだと考えているんだけど、今の自分のしている仕事は安定していないし、子どもを育てることができる、という感覚はなかなかに持てない。だから今すぐに結婚を考えている、とかそんな風には言えないや。」 そう答えた。 「年齢のこともあるし、子どももほしいと思っているから、そもそも結婚願望を持っていない人とは付き合えない。」 そう言われ、付き合えないと言われたと早とちりをした僕が、 「分かったよ、、、」 と言った後すぐに、 「あ、いや今すぐとかってことではなくよ?私とってことにも限らず、そもそも願望があるかどうか?ってそういう話ね!」 そこまでを言ってもらえたなら、なるほどそれなら、はい!と言えるな、と思い、 「うん、結婚願望はあるし、子どももいつか育てられるような自分になりたいと思ってるよ。」 そう答えた。 「それなら、何度か出かけたりして、また考えよう!」 そういう話になって、また2人で飲みはじめた。 付き合うかどうか、それってその場で決まるものではないんだな、とそう思い、 結婚は考えてはいるけれど、結婚相手として僕がその子に相応しいのか、そう考えると、 到底そうは思えなかったから、僕はどこかでその子と付き合うことは諦めていた。 それから、毎晩電話をくれた。 僕は人に話ができる何かの経験もしていないし、 とにかく、できることは話を聞くことだ、とそう思い、ひたすらに聞いた。 感情豊かで、人との関わりに恵まれ、そして積極的に享受をしているその子の話を聞くと、 なんだか僕の感情にも動きがあるように思えて、 僕にない、憧れ続けたものを持つその子に対して、 僕は段々と惹かれていくようになった。 その子の感情豊かなその話を聞く毎晩の電話は、 ネガティブな僕にはあまりに眩しく、 自分が何も持っていないという現実に向き合うことになる苦しみを伴いつつ、 やはり魅力を感じている子からの電話は、 とても嬉しいものでもあった。 電話をする度に、会う度に、 僕はその子のことが好きになり、 そして自分の足らなさが目につくようにもなっていった。 なんで僕はこうなのだろうか。 そうつよく思うようになった。 どうして今なのだろうか。 会えたのが、どうして今ではなくてはならなかったのか。 もし、僕が安定した仕事や人間関係を築ける僕になった後に会えたならば、 魅力的なあの子と付き合うことができていたんじゃないか、 そう思い、電話が切れた後に、僕はよく泣いていた。 毎晩、自分の足らなさと情けなさに、僕は泣いていた。
かめたのコツコツ発達日記

230422_全てを持っているあの子と何も持っていない僕①

最近、いいなー、と思っている子と何度かお出かけをしている その子は、全てを持っていた。 大手企業で働き高い給料を稼ぎ、休みも多く時間があり、 平日には会社の社員と飲みに行き、会社の部活に3つ入り、 週末は遊びの予定で埋まっている。 両親とも、4人兄弟の4人それぞれとも仲が良く、 小学校、中学校、高校、大学とそれぞれの学校でできた友達と今でも付き合いがあり、 月に2回は旅行に行き、色んな地域の知識のある、 そんな子だった。 僕は、何も持っていなかった お金がない、休みもなく時間もない、 友人はごく限られていて、休みの日の予定はいつも空いている。 親戚にも人見知りや緘黙を発揮してしまい、 旅行にはほとんど行ったこともなく、 記憶力もないためあらゆる知識や経験に乏しい。 そんな僕だった。 その子とは新宿の居酒屋で初めて飲み、意気投合した。 お互い日本酒が好きだということもあり、2軒目3軒目とハシゴしてお酒を飲んで回った。 緘黙症を抱えていた僕は、初めましての人が相手だとどうしてか話すことができたので、 それもあってか初めての飲みは盛り上がり、よい印象も持ってもらえたのだとは思う。 初めて会った日からその子は夜になると僕に電話をくれて、 僕もそのことが嬉しくって、毎晩睡眠時間を削って電話を受けていた。 そして、何度も何度もその子の話を聞くたびに、 あれ?この子は僕より遥かに知識や経験が豊富でないか? あれ?この子けっこう遊んでるんだけれどいくら稼いでるんだろう?どれだけ休みがあるんだろう? と、段々と、僕の現在の生活と、その子の現在の生活の格差を感じはじめていく。 そして、その子の送っている生活が人よりも活動的である、ことを差し引いても、 その子よりも5つも年上で、月4万円の6畳1間で暮らし、お金にも時間にも遊ぶ余裕のない僕は同年代と比べてかなり慎ましい生活を送っていたのだということを、その時に初めて知った。 知ってしまった。 全てを持っているあの子と出会ったことで、 僕は僕が何も持っていない僕であるということを知ってしまった。 会う度に、話を聞く度に惨めな思いを勝手に抱いていき、 そして同時に、 僕はなんとかして自分の生活をどうにか変えたいとつよく願うようになっていった。 この子と上手くいかなければ、きっと僕に女性との縁は2度と生まれないだろう、とも思っていたし、 こんな僕に関わろうとしてくれるあの子に、どうにかして応えたかった。 どうにかして応えたくて、 うつ症状を改善しよう、なんとかこの頭のモヤを晴らそう、失感情症を治そう、自分を変えよう、、、 そう具体的に考え動きはじめた。 変わりたい。早く変わりたい。 見限られてしまうよりも早く、どうか変わりたい。
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230420_アニキ先輩に居酒屋で仕事のできなさについての相談をする➁

僕は、今の職場が3社目。 今までの会社では、 作業がうまくできないことや、同僚や先輩と打ち解けられない、 そのことが連なり、辞めてきてしまっている。 今の職場でも、数字の打ち間違えやメールの送り間違えが多く、 飲み会の席でも無口な僕は、 もっとしっかり注意しないといけないよ、 もっと積極的に関わっていこうとしないといけないよ、 と日々注意を受け、またここでも働き続けられないのではないか、 そんな不安がどんどんと大きくなる毎日だった。 僕は自分で自分の感情を掴みづらいところがあるけれど、 感情が顔に出づらいところがあるから、 毎日不安そうな顔をしている僕を見て心配させたり不安にさせたりしていた、 そのことをつよく感じ取り、不安をどんどんと大きくしていた。 そんな僕をみて、心配をしてくれたのがアニキ先輩だった。 アニキ先輩は、何度教えてもらっても忘れてしまう僕に、 しっかりしろよー、と言いつつも教え続けてくれているつよくて優しい先輩。 デザインの技術的な知識も豊富で仕事を堅実にこなしつつ、 飲み会や遊びの際にはしっかりとふざけることのできる、 あ、本当に余裕のあるカッコいい男の人って余裕も生まれるから自然と優しくなれるのだろうな、とそう思えるような、そういう風になれたらいいな、とそう思えるような人。 そのアニキ先輩に、僕は僕の仕事のできなさについて、相談の時間をもらうことにした。 「先輩、明日、仕事の後にすこしでいいので飲みに行く時間をいただけませんか。」 「うん、いいよ。明日な、分かった。」 そうアニキ先輩言った。 どうして?とはその場で聞かなかった先輩は、 僕が仕事のことで相談したいんだ、そう感じてくれていたんだと思う。 そして翌日、仕事終わりの時間に、 先輩の作業をしている姿をチラチラ見ながら、いつ頃がいいのかなー、 と考えながら、 いや、あんまり早くに仕事を終えるのもよくないよな、 とモジモジしながら、声をかけられず、どうしようかと考えていたら 「そろそろ行く?」と声をかけてくれて 「はい、お願いします」と答えた。 先輩とは帰りの電車で途中駅までは一緒だから、 あの駅で飲むか、この駅で飲むか、 どんなものが食べたいー? そう聞いてくれたけど、僕は相談をするぞ、ということでもう頭がいっぱいで、 「先輩のおすすめのところに行きたいです」という回答だけをようやく絞り出した。 このお店はこういうお店なんだ、こういうのが食べたかったらあのお店がいいのかもしれない、 先輩はそう提案もしてくれたけど、鬱々としていた僕はその話もうまく即座に理解をすることができず、気づいたら居酒屋の中にいた。 相談を持ちかけたのは僕だから、僕の方から、 実はこんなことを思っていて~、と話をしたかったけれど、 社内で緘黙を発揮していた僕は自分から話しだすこともできず、 先輩も僕が自然と話し出すのを待ってくれているのだろうけど、 なに飲む?なに食べたい?とそう尋ねてくれる。 ああ、後輩なのに先輩に自分から何かを言うわけでもなく、 受動的な姿勢でまたいてしまったな、と落ち込み、 ただでさえ話せない状態だったのに余計に話しだせなくなっていた。 30分以上時間が経ち、先輩に時間をもらったのに何も言わないわけにはいかない、 そう思った僕は、もうその手前の話の脈絡も考えずに、勢いをつけて先輩に話はじめた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 230420_アニキ先輩に居酒屋で仕事のできなさについての相談をする➁ 「先輩、僕は会社を辞めたいと思っているわけではないんです。」 そういう話出しにした。 「先輩、明日、仕事の後にすこしでいいので飲みに行く時間をいただけませんか。」 そんな先輩の誘い方をしたから、恐らくは辞めるんじゃないか、 そう思わせてしまっていると思ったから、 脈絡はなかったかもしれなかったけれど、そんな文章からはじめた。 「ただ、みんなが当たり前のようにやっていることが、こなしていることが、僕にはどうしてもできないんです。 僕は教えてもらったことをどうしても忘れてしまって、なんとかメモをしないととメモを取るのですが追いつかず、電話を受けたら相手の話していることが話を聞くそばから忘れてしまい、飲み会の席で、好きな食べ物は?と聞かれても頭になんの回答も浮かばずに答えることができなくて。。。 以前の会社は土日休みもなくブラックな環境で、体調を崩していたからうまく頭が働かないのかな、と思っていたのですが、 この会社に勤め、毎日しっかりと睡眠を取り、土日にも休ませてもらい、それでも頭がうまく機能しないことで、ようやく気づくことができたんです。 自分は人とは違うんだ、ということに。 僕はきっと、人と脳か何かが生まれつき人と違うんじゃないかと、そう思います。 だから、仕事を辞めたいです、とそういうわけではなく、むしろ努めていくので働かせていただきたいです、ということが伝えたくて。」 そういう伝え方にした。 まだ、発達障害の診断は受けていないけれど、 何かが人と違う、その確信だけはあったし、先輩に迷惑をかけ続けていることも分かっていたから、 自分の今の気持ちと、続けたいんだという意志、それだけはなんとか伝えておこう、その気持ちで先輩には打ち明けた。 すると、アニキ先輩は即答だった。 「なるほどな。まずさ、僕から見たらかめた君は変ではないからね。 かめた君が感じているつらさや困難はあるのだと思うけれど、それは周りから見たら問題はないものだよ。 真面目過ぎるし、不器用なところもあるし、 人よりは時間がかかるかもしれない、だけどおれが教えていくよ。」 先輩はそう言ってくれた。 僕の相談はとても漠然としていて、答えを求めるものでも方法を模索するものでもなく、 自分の今の気持ちとつらさを伝えるだけの、え?だから?と言われてもしょうがないような内容だったと思う。 そんな内容にも関わらず、先輩は僕の気持ちを受け入れ、不安を和らげるようなことを言ってくれて、 そこまで言わせてしまった後に、僕が何か他に求めるものなども特になく、 「そう言われてみると、確かにそうですね。」 そんな返事だけが口からは出てきた。 どうしよう、こんなに相談のはじめを引き延ばしておいて、 ようやく出てきた相談は短いラリーで終わってしまった。 この後の時間はどうしよう、そんな焦りが緘黙症の僕にはすぐに訪れた。 訪れたけれど、何か食べたいものはある?と聞かれて僕は、 「目光のから揚げが食べたいです。」と答えていた。 好きなものがないはずの僕がしっかりと好みがある人が頼みそうな品を 注文して、すこし自分でおかしく思いながら、日本酒を飲みながら食べた目光のから揚げはとてもおいしかった。 その翌日から、アニキ先輩は僕のことを他の人に話をしている時に、 「彼変わってるとこあるんだよー」と僕を会話にいれてくれたりする。 作業の進捗もちょくちょく気にかけてくれて、焦って頭が動かなくなってると横から覗いて、 「今、作業どんな感じー?」と助け舟を出してくれる。 僕はまだ、雑談はできない、おちゃらけることもできない。 だけど、できる作業だけは雑念に囚われずしっかりやっていこう。 そう思った。
かめたのコツコツ発達日記

230420_アニキ先輩に居酒屋で仕事のできなさについての相談をする①

僕は、今の職場が3社目。 今までの会社では、 作業がうまくできないことや、同僚や先輩と打ち解けられない、 そのことが連なり、辞めてきてしまっている。 今の職場でも、数字の打ち間違えやメールの送り間違えが多く、 飲み会の席でも無口な僕は、 もっとしっかり注意しないといけないよ、 もっと積極的に関わっていこうとしないといけないよ、 と日々注意を受け、またここでも働き続けられないのではないか、 そんな不安がどんどんと大きくなる毎日だった。 僕は自分で自分の感情を掴みづらいところがあるけれど、 感情が顔に出づらいところがあるから、 毎日不安そうな顔をしている僕を見て心配させたり不安にさせたりしていた、 そのことをつよく感じ取り、不安をどんどんと大きくしていた。 そんな僕をみて、心配をしてくれたのがアニキ先輩だった。 アニキ先輩は、何度教えてもらっても忘れてしまう僕に、 しっかりしろよー、と言いつつも教え続けてくれているつよくて優しい先輩。 デザインの技術的な知識も豊富で仕事を堅実にこなしつつ、 飲み会や遊びの際にはしっかりとふざけることのできる、 あ、本当に余裕のあるカッコいい男の人って余裕も生まれるから自然と優しくなれるのだろうな、とそう思えるような、そういう風になれたらいいな、とそう思えるような人。 そのアニキ先輩に、僕は僕の仕事のできなさについて、相談の時間をもらうことにした。 「先輩、明日、仕事の後にすこしでいいので飲みに行く時間をいただけませんか。」 「うん、いいよ。明日な、分かった。」 そうアニキ先輩言った。 どうして?とはその場で聞かなかった先輩は、 僕が仕事のことで相談したいんだ、そう感じてくれていたんだと思う。 そして翌日、仕事終わりの時間に、 先輩の作業をしている姿をチラチラ見ながら、いつ頃がいいのかなー、 と考えながら、 いや、あんまり早くに仕事を終えるのもよくないよな、 とモジモジしながら、声をかけられず、どうしようかと考えていたら 「そろそろ行く?」と声をかけてくれて 「はい、お願いします」と答えた。 先輩とは帰りの電車で途中駅までは一緒だから、 あの駅で飲むか、この駅で飲むか、 どんなものが食べたいー? そう聞いてくれたけど、僕は相談をするぞ、ということでもう頭がいっぱいで、 「先輩のおすすめのところに行きたいです」という回答だけをようやく絞り出した。 このお店はこういうお店なんだ、こういうのが食べたかったらあのお店がいいのかもしれない、 先輩はそう提案もしてくれたけど、鬱々としていた僕はその話もうまく即座に理解をすることができず、気づいたら居酒屋の中にいた。 相談を持ちかけたのは僕だから、僕の方から、 実はこんなことを思っていて~、と話をしたかったけれど、 社内で緘黙を発揮していた僕は自分から話しだすこともできず、 先輩も僕が自然と話し出すのを待ってくれているのだろうけど、 なに飲む?なに食べたい?とそう尋ねてくれる。 ああ、後輩なのに先輩に自分から何かを言うわけでもなく、 受動的な姿勢でまたいてしまったな、と落ち込み、 ただでさえ話せない状態だったのに余計に話しだせなくなっていた。 30分以上時間が経ち、先輩に時間をもらったのに何も言わないわけにはいかない、 そう思った僕は、もうその手前の話の脈絡も考えずに、勢いをつけて先輩に話はじめた。