ADHD

かめたのコツコツ発達日記

230417_感情のタグ付けトレーニングをはじめる(発達障害診断前)

最近、自分の感情にタグ付けするトレーニングをしてみることにしている。 それが意味があるか分からないけど、失感情症のを改善させるために、 カウンセラーさんと相談して決めた行うことにしたトレーニング。 「僕は、自分の気持ちが分からず、自分のやりたいことも分からず、 人を好きだとかイヤだとか思う気持ちも分からず、 周りの人から歩み寄ってくれても何もできず、やがて孤立する。 そんなことを繰り返してきてしまっている だから、人に会う機会増やしても人との関係は深まらず、 そもそもの失感情症をどうにかしないと明らかに意味がない。」 そう、カウンセラーさんには相談をしていた。 定型の人に、自分の感情が掴めずうまく話せない話をすると、 〜くん普通だよー、とか、 勇気出して話しかけてみたらいいんじゃない! と、言ってくれる。 けれど、そもそも自分の中に言葉が見つからない感覚だから、 必要なのは、勇気とかじゃあない。 なのに僕も共有したいし寂しさはある。 感情はないはずなのに寂しさはある そう困りを伝えるとカウンセラーさんは、 「失感情症を抱えているといっても、 感情がないわけではなく、刺激は受けているので、 今日一日の出来事を振り返り、自分の感じてることを内省して感情にその感情にタグ付けをしていこう、 人は言葉はに当てはめることで認識ができるから、感情も振り返り名前をつけ直してあげることで改善に向かうかもしれない」 とそう言ってくれた。 そう言われて振り返ってみると 僕はその場では自分の感情に気がつかないが、後から遅れて感情がやってくる ことは多いことに気がついた。 例えば、人に悪口を言われた時に、その場では、ふーんとしか思わないけれど、 後々から腹が立ってくる、そんなことがよくあることに気がついた。 でも、あえて自分の感情について振り返る習慣なんて今まではなかったし、 だから自分の感情に気がつけるタイミングなんてそうなかった。 感情は学習である。 学習であるあるのなら、僕にも学べる可能性はある。 そう思うとまだ救いはあると感じることができる。 いいなーと思ってる子と話をしていても、その場で感想を言ったりすることが難しい。 その子が、せっかく月曜日には飲み会があるのに会社で残業しなきゃいけなくなったー、 という話をしてくれても、 飲み会に行きたいという、やりたいことがあるのがすごいな、 そちらにどうしても気がいってしまう。 みんな、やりたいことを我慢して、 やらなきゃいけないことをやってるんだな、と知ったりもした。 僕は、やりたいことが自分で分からないから、 やらなきゃいけないことしかやることがない。 無報酬でただ頑張らなきゃいけないことしか人生にないし、 人並み以上に頑張らないと人並みにもなれない。 その子の話の中身に関心を向け共感ができるようになるために、 僕も色んな経験を積みたいし、 そのためにもまずは失感情症をどうにかしなきゃ、とただひたすらに思った。
かめたのコツコツ発達日記

230415_twitter開設し失感情症に取り組みはじめる(発達障害診断前)

中高生の頃から言葉を発することができず、社会人になりうつの発症と転職を繰り返していた。 自分は自分の感情ややりたいことに気づくことが難しく、 それにより言葉を発することへの難しさがあるのでは、と気づくようになり困りに取り組むことを決めました。 発達障害には治療が一切ないからと諦めない人と繋がりたい。 そう思いtwitterをはじめることにしました。 (実際には服薬により生活の補助を医療から受けることは可能です。) まずは失感情症(自分の感情に気づきづらくなる障害、アレキシサイミアとも呼ばれる)を改善させることに決めました。 僕が失感情症に気がついた一番のきっかけは、 人を好きになったことがきっかけでした。 ある人を好きになり、食事に行くようになり、 その人が話してくれるエピソードがとても豊かで、 学生の時にはこんなことをしたんだ、 会社でこんなことがあってこんな思いをしたんだ、 そんな話を聞くうちに、 あれ?僕は学生の頃には学校に行くだけでヘトヘトに疲れ帰宅する半引きこもりの生活をしていたから、 そんなに色々な経験をしてはいないな。 そんなことを振り返る場面が何度も何度も出てきた。 そして、漫画や映画でしかあり得ないような、 「学生生活」と呼ばれるものを、実際に経験している人がいるのだと、 心底驚いた、というよりも、恐ろしく思った。 僕が、年齢不相応の経験の積み重ねしかできていないことに、気がつきはじめた瞬間だったから。 でも、だからこそ僕は、変わりたい、とつよく思うようになった。 失感情症を改善させたいなー、という漠然とした思いが、 なんとか僕の好きになった子が僕に愛想をつかしてしまわぬうちに、 なんとか自分の感情を掴めるようになりたい、頭のモヤを晴らしたい、 そう切実に、つよく思うようになった。 僕が、 自分が年齢不相応の経験や知識しかないことに気がついたことも、 自分の失感情症の改善や頭のモヤを晴らすことを切迫とした問題と捉えられたことも、 人を好きになったことがきっかけだったのだと思う。
会社での試行錯誤の記録

230730_休む技術を獲得しました。

休む技術を獲得しました。 こう聞くと、 休むことに技術なんかない、ごろごろしたり、友だちとご飯に行ったり、 好きに休んだり気分転換すればいいだけでしょ? とそう思う人もいると思う。 ただ、ASDを抱える僕には休むということは非常に難しい。 なぜ難しいのかというと、 休む、という言葉は漠然としていて、 どのタイミングで何をどうしたら休んだことになるのか分からず、 具体的に何をしたらいいかが分からないからだ。 このことに気づいたのは、 同じくADHDとASDを抱える友人に休み方について相談してる時だった。 僕は友人に、 いざ体だと脳を休めてみようと思い、 土日に何も予定もいれずごろごろしてみようとしたが、 午前中にはごろごろすることに飽きて、 何もしていないことに罪悪感を抱き午後に無駄に日夜品の買い物に行き、何もしていないことに罪悪感を覚え、結局疲れてしまった、 という話をした。 そうしたら友人は、 休むことはそんな簡単なことじゃあないよ、 休むには「準備」と「覚悟」が必要だから、 と僕にそう教えてくれた。 休むという柔らかな言葉に、 「覚悟」という言葉を敢えてつかう友人は初めは100%冗談を言っているのかと思っていたけれど、 後にこれがあながち冗談でないことを後に知った。 友人は、僕が休むことに失敗した原因を教えてくれた。 まず、ASDを抱えている僕にとって、 休むことはなぜ簡単なことではないのか、 その原因を僕に教えてくれた。 まず、休むのがなぜ難しいのかというと、 休み方は人それぞれ、そして時と場合により異なるので、 どのタイミングで何をしたらいいか、 自分で分かっていないことが大きな一因としてあると思う。 それを聞き、僕はとても腑に落ちた。 休むということは、何もしないことだと思っていたけれど、 何もしない、ということをする、ということは実際にはできないから、 とりあえず布団に横になってみて、楽しくもないし、疲れが取れてる感覚もないから、 何やってんだろ自分、て思いはじめて、 起き上がって無駄に有意義らしいことをしたくなってしまう。 そうすると、休むことはあまり上手くいかなくなる。 そこで、休むにはどうしたらいいか、 友人にアドバイスをもらった。 そうして友人からもらった言葉が、 休むには「準備」と「覚悟」が必要である、 という簡潔で明快な言葉である。 休むにはまず、「準備」をすることが重要である。 休むという言葉が曖昧で、何をしたらいいのか分からないのなら、 逆に言えば、 どのタイミングで何をしたらいいか、 具体的に事前に決めておくことで、 休み方を具体的に決めておくことが必要である。 例えば、体と脳を休めたいのなら、 部屋の冷房を聴かせてベッドの上でごろごろする、と決める。 そして眠気が来たら目を瞑り眠る。 暇を感じたり飽きたりしてしまった時は、 外に出るのではなく予め買っておいた漫画を読むと決めておく。 そうすることで、 僕は休むと決めて休んでるんだ、と感じ、 何もしていない、という罪悪感を感じないで済む。  このように、休むためにやることを具体的に決めて「準備」をしておくが必要である また、 お腹が空いたりお菓子やジュースが飲みたくなった時に外に出てしまいたくなる時がある。 もちろんそれが気分転換になるのならば有りだけど、 ついごろごろすることの罪悪感を拭うために無駄につくった用事なのであれば、 せっかくの休みの質が下がってしまう。 だから、疲れが溜まり一日ごろごろしよう、そう決めた日の前日までには、 コンビニやスーパーでお弁当や、お菓子やジュースを買い込み冷蔵庫に入れて食糧を準備しておく。 そうすることで、 つい外に出て用事を生み出し休むことを止めてしまうことを避けることができる。 つまり、 ・休みの日に何をするかを具体的に決めておく ・食料とお菓子とジュースなど嗜好品を休む日の分だけ買い込んでおく この2つの「準備」を前日までに行っておけば、 僕は休むことができるようになる、ことが分かってきた。 休むには必要な2つ目は、休む「覚悟」を決めることである。 これはとてもシンプルなことで、 休むことに慣れていない人は、ベッドの上でごろごろしている時につい、 ちょっと用事を作って出掛けてみようかな、 そう考えてしまうことがある。 そして用事をつくり出掛けてしまえば、 休むとはできなくなってしまうことが僕の場合は多い。 そこで必要になるのが休む「覚悟」になる。 僕は今、何もせずダラダラとしてベットに寝転んでいるわけではない。 休むために、休むことを決めてベットに寝転んでいるんだ、何もしていないわけではないんだ、 中途半端に外出したら休めなくなる、だから僕は休むんだ、と「覚悟」を決めて休むために前日すると決めたことを行なう。 もちろん、徹底しすぎる必要はないし、したくなったことがあったらすればいいんだけれど、 休みなれてない人はこの、体を休めるためにベットでごろごろする、ことが難しい場合がある。 そういう僕のような人にはこの「覚悟」が必要になってくる。 僕は上記のように、 休む、際にする作業を具体化して記述することで、休むことができるようになり、 慣れてくると休む予定を事前に入れなくても、 ごろごろとできるようになってきている。 大したことがないようなんだけれど、 ASDを抱え、休むことができない人は上記の「準備」と「覚悟」を是非試してみてほしい。 一度、休むためのやり方と感覚を覚えたら、 どんどんと休めるようになってきたので。 休むのが苦手な人が、 休む技術を獲得するきっかけになれたらいいな、と思います。
会社での試行錯誤の記録

230727_29歳から経験を積み重ねることの困難。その②

29歳から経験を積み重ねていくことの困難は、 もちろん社内だけに生じるものではない。 会社の外に行く時、さらに困難を感じる。 デザイン関係の仕事をしている僕は、 1つのプロジェクトで多種の業者と関わることになる。 そして、記憶がもたず、脳内多動により失敗を重ね鬱にもなってここまできた僕は、 その業者の方々が持つ知識のほとんどを知らない。 その全ての知識を知り、まとめるのが僕の仕事の大きなことの1つなのに、僕はまるで知らない。 そして僕がまるで知らないことを、 各業者の方々はもちろん知らない。 知らないけれど、打合せを重ねる度に、 あれ?彼は年齢の割に経験がないぞ? とそう気づいてくる。 そう気づかれていることに僕も気づいてくる。 僕がもしプライドというものをまだ持っていたのなら、 ここで折れてしまっていたと思う。 けれど、僕は今、 人よりもできない人間であることを既に知っている。 みんなが僕の知識のなさに驚こうとも、 僕は僕の知識のなさを予め知っている。 だから僕はもちろん驚かない。 もちろん驚かないだけでなく、対処法も考えるので、 知識がなくてもなんとか場が進む方法の方を身につけることにしている。 知ったかぶりはしない。 知ったかぶりはせずに、どの業界にでも通じる質問を用意しておく。 例えば、 ある業界の専門分野のことを僕が理解しておらずとも、 いま、どんなことを検討しているのか。 どんな案がありうるのか。 その案それぞれのメリットとデメリットは何か。 その質問はどの業者が相手でも通じるし、それさえ理解できたら、 僕は社内に持ち帰り報告をすることができる。 とても便利な質問だと思う。 そして、 相手の時間もとってしまうし、 あまりに知識がないと思われたら信用も失うので一から質問するわけではなく、 この部分はこういうことだと思うけれど、他に案はありますか? こうすることでこういう問題が起きると思うが、他に考えられる問題やメリットなどあるか? と、自分の知ってる数少ない知識も中に入れて聞くようにする。 知ったかぶりをせず、聞く姿勢を見せ続けることで、中にはその姿勢を認めてくれる人が出てくる。 そうしてひたむきさを見せ続けることが、 僕が先輩や関係業社の人と仕事を一緒にして、教えてもらうために必要なことなんだと思う。 こうすることで、なんとか経験を積み始めることができた感覚がある。 愛嬌とひたむきさを周囲に見せていくこと。 これが僕がいま、働きやすい環境づくりのために試してみていること。 幸い僕の業界は、つらい環境であるため若手はすぐに辞める。 関わる仕事先の関係者は4,50代で、 彼らからみたら22歳も29歳もどちらもペーペー。 それにはすこし救われてもいる。 経験のなさを呆れられても、バカにされても、 諦めないでその場でやれることをその場でやる。 その姿勢を見せ続けること以外に、僕にやれることはない。 だからやる。
会社での試行錯誤の記録

230727_29歳から経験を積み重ねることの困難_その①

僕は29歳でADHDを診断された。 それまでは脳内多動により、 思考がまとまらず、記憶の整理もできず、 仕事もできない、経験も積み重ならない時期を過ごしてきた。 今、服薬をして脳内多動は和らぎ、 仕事の作業がすこしずつでき始め、 経験も僅かながら積み重ねはじめている感覚がある。 だけれども、 社会人になって6年目の僕は、 新卒の人並みの経験のなさから今をはじめている。 そのことの困難をとても感じている。 職場にいる経歴5年目の先輩は、僕より1つ年下で、 そしてとても仕事ができる。 僕は仕事を覚えはじめて2ヶ月目。 この差はとても大きい。 プライドなんてもっていたら、 とてもじゃないけど働き続けられない。 だから、 不愛想で不器用な僕は 愛嬌とひたむきな姿勢を意識して見せていく必要がある ASDを抱え無意識にコミュニケーションを学べない僕は、 愛嬌とは何か、具体的にどうすることで愛嬌を見せたことになるのか、それを考え言葉で整理することがまず必要になる。 愛嬌も、場面により異なってくるけれど、 男同士の会話における愛嬌は、 プロレスにとても似てるとだと思う。 男同士の会話の多くの割合を占める、 いじるいじられるのコミュニケーションは ・相手のいじりを受けてダメージをくらうリアクションをしっかりとする ・だけど、心からのダメージは受けてないよ、ということも表現する この2つが大事で、 前者がないと、 プライドが高く面白みもないとみなされ、 後者がないと、 弱い人間だとみなされ評価が下がる 相手の技をしっかりと受け切り、 そしてリアクションもしつつも立ち上がる、 まさにプロレスみたいだと思う。 今日も社長がアニキ先輩に、 たまに現場について行ってやれよ、抜き打ちで行って現場とコイツに喝を入れてやってよ、 と笑いながら言ってきたので、 男同士のつつき合うコミュニケーションだと最近理解した僕は、 きてくださる安心感と緊張が同時にきてめっちゃ複雑です! としっかり受けつつ笑って答えた。 以前の僕なら、 ただひたすらに顔を強張らせて、 それを見て相手の顔も強張らせてしまっていたと思う。 これはまあ成長だろう。 ASDを抱える僕は意識しないとコミュニケーションを学べない。
障害について求めたい理解

230728_障害を抱える僕が人を好きになるということ_その③

前の頁で、僕は発達障害という僕の至らなさについて友人や会社の人にオープンに話しはじめ、 そしてそれでもなお受け入れてもらえたことによって、 自信と安心感を得た経験について記録をした。 そしてそれから僕がまた人を好きになったことについて記録しておこうと思う。 何ももっていない僕とも、お付き合いをしてくれる人は、過去にはいた。 そして、決まって僕の方から離れてしまった。 理由は今ならわかっていて、僕は時間が経ち関係が深まるほど、自分が至らないことがバレてしまうことが怖かった。 だから自分の方から離れていってしまっていた。 優しい人を相手にひどいことをしてしまっていた。 その人の前で重ねてきたミスの一つ一つも、 きっと人から見たら些細なミスだったのかもしれない。 だけど僕から見たら、 29年間見続けてきた発達障害であるがゆえのミスで、 そのミスを晒す度に、いつか見放されるんじゃないか、と怖くなっていた。 ご飯屋を選べばその店は日曜休みで、 次に入った店ではその子が食べたい料理と違うものを誤って注文し、 そこから次の目的地に行こうとすれば距離が遠くて、 そんな日に限って雨は降り僕は傘がない。 その子の傘に入れてもらい地図を読むも間違えてしまい道に迷う。 そんなミスをその子は笑ってくれても僕は本気で落ち込み困らせてしまう。 こんな自分と時間を過ごさせては申し訳ないと予定より早めの時間に、解散しようと提案し、 え?一緒にいたくないの?と言わせてしまう。 本当に何をやっていたんだろうな。 振り返ればおかしなズレたことをしていたことは分かる。 今思えば、笑えばよかったんだろうな。 ミスをしてしまい、そのミスを自分から笑えばよかったんだろうな。 でもさ、どんどんとバレていく自分の至らなさが、 隠せない僕の足りなさが恥ずかしくて、 呆れられて離れられるのが怖かったんだよな。 段々と、会うことも電話をすることも怖くなっていった。 僕は黙っていてさえいたら、仕事もできそうな見た目をしてるんだ。 学生の時にバイト先の店長に言われた。 「うーん、見た目は仕事できる感じすごいするのにね!」って。 (学生の時はもうすこし呑気だったからこれを褒め言葉だと勘違いしていた。) だから、時間が経ち、段々と、僕が何もできないことが、何も持っていないことがバレて、 近くにいてくれる人が僕から離れていってしまうんじゃないか、 とそれがただひたすらに怖かった。 というか、それは今でもきっと怖い。 そして、自分の抱える発達障害について受け入れた今、僕は生まれて初めての関係の築き方をした。 僕の抱える発達障害を、僕の抱える至らなさを、 予め知った上で僕とお喋りしてくれる、遊んでくれる友だちができた。 そして、僕が発達障害を抱えていることを知った上で僕と一緒にいてくれる人ができて、僕はその人のことを心底、いいな、と思えている。 不思議と、というか最早当たり前なのかもしれないけれど、 僕は彼らと関わる時に不安を感じることがない。 だって彼らは、僕の至らなさを知った上で時間を一緒に過ごしてくれている。 これからどんなに時間が経とうとも、バレてしまう、隠している至らなさがもう僕には他にない。 そうしたら、時間が経ち関係が深まることの怖さや不安はもうそこにはなかった。 だから、僕は彼らとのこれからの時間がただ楽しみでしょうがない。 僕が人と関係を築くことのできなかった大きな理由の一つがこれをしなかったからなのかもしれない。 至らなさを初めからさらす、 それでも付き合ってくれる人達と付き合う。 これをしなかったからかもしれないけれど、 じゃあもう一度過去に戻りそれができるかといえばできないよな。 だって、できない自分を認めてもらえた経験なんて、 僕はしたことがなかったんだから。 一度も認められたことがない人間が、 これからもしかしたら認めてくれる人がいるかもしれない、 なんて楽天的には思えないよな。 長年かけて悲観的に物事みる視点を身につけて、 つらい現実に直面した時に落ち込まないようにハードルを下げて生きつづけて、 その低いハードルをさらに下回る現実に毎日直面してきてるんだから。 だから、僕が僕のあるがままを認めるには、 人にあるがままを受け入れてもらう経験が、 まずは必要だったのだと思う。 これ以上ないくらいに、僕は何も持ってない人間であることを予めにオープンにして、 障害も抱えていて、仕事もできなくて、お金もなくて、遊んできた経験もなくて、 全てをオープンにした上で、僕が無であることを知った上で受け入れてくれる、 強烈な経験が、僕には必要だったのだと思う。 僕のあるがままは、 僕がひた隠しにしてきた至らなさと弱さだったのだと思う。 その至らなさと弱さをひた隠しにしてきたからこそ、 僕は僕を誰かが受け入れてくれた経験を積めなかったのだろう。 人を好きになることも、信用することもできなかったのだろう。 大きなことに気がついた気がする。 そして今、僕は僕の至らなさを受け入れることができている。 こうして、 僕が僕のあるがままを認めることができた時に、 気がつけば「完璧にならないと人を好きになってはいけない」と定めた自分のルールも自然と破綻をしていた。 破綻をしているルールを守るほどには僕も生真面目ではないので、 そうして僕はまた、人を好きになる心や考え方の準備ができたのだと思う。 そして、最近できた、発達障害を抱え、僕と近い困りを抱える友人達には偶然、みんな揃ってパートナーの方がいた。 彼らの生活は、何よりも楽しそうに見えた。 僕の大事にしている理屈がどうでもいいやと思えるくらいに楽しそうに見えた。 その友人達のその姿を見て思った。 僕はまだ、 完璧じゃなくても、完全じゃなくても、 それでも人と、 一緒に時間を過ごしてもいいんじゃないか、って。 生活を共にしていいんじゃないか、って。 僕の至らなさを予め知っていて、 その上で受け入れてくれるのであるならば、 僕はもう、これからは、 自分から離れたりなんかしなくっていいんじゃないか。 だから、僕はまた、いいな、と思える人と出会えた時に、恐れずに行くことができた。 (実際にはおどおどと声をかけたけど) その子とのお出かけでは、 喫茶店で涼しくプリンを食べるつもりが真夏の暑い日にテラス席を用意してつらい思いをさせてしまったけど、 このプリンを食べたら冷房の効いた向かいのデパートに避難しよう!と笑いながら言ってくれて楽しかった。 デパートで涼んだあと、焼き鳥屋に行く前に別の喫茶店で涼もうと探し歩きどこも混雑で入れなかったけど、 家具の量販店なら椅子が沢山あるかも!丁度椅子も検討したかったところだから中で涼もう、と急遽ウィンドウショッピングがはじまり楽しかった。 量販店の3階から、下階に降りようとしたら上りエスカレーターの方に向かってしまい 一階の出口に行こうとしたら一階の非常口に辿り着いてしまい館内で道に迷うというトリッキーなミスも披露してしまったけれど、 振り返ったら笑ってくれて、僕も楽しかった。 僕はきっと何も変わってない。 ミスばかりだし、何一つうまくこなせない。 だけど今は、僕が至らないことを知っている上で 近くにいてくれる人達がいる。 だから僕は、そのままの自分もわるくはないや、とそう思うことができている。 僕は人に本当に恵まれている。 人が自信を得る過程で必要なのは、 特別な才能を活かし人に必要とされることではなく、 どれだけ自分に至らなさがあったとしても、 受け入れてくれた人達がいたかどうか、その経験なんだと思う。 緘黙症で、失感情症で、離人症だった僕は、 人に存在を気づかれず、嫌われて、時にいじめられてきた僕は、 特別な能力や技術を得ることでその状況をひっくり返したいと願い続けてきた。 そしてそんなことはできなかったし、きっとこれからもできない。 そもそもその必要性すら、今は感じない。 今は、生きることがすこし楽しみだ。 そんな風に思えているのは、生まれて初めてだ。 僕は、本当に人に恵まれている。 形式的なものなんかじゃなかって、 自然に浮かんでくる、有り難いという感覚が。 胸部真ん中のやや下辺りににややの重さを感じ、 地に足がつく感覚を覚え、それらは人が僕にくれたものだと感じ、 有り難いという感覚を覚える。 ありがとう、は言葉でメッセージだけど、 有り難い、は感情でも思考でもなく、感覚に近いな。 うん、心から有り難い。 発達障害を抱える僕が、 なぜ人を好きになれなかったのか、 なぜ至らない自分を受容することができたのか、 なぜ人を好きになることができるようになったのか、 その記録がひとまずここで、できたように思う。 また何かを忘れかけたら、読み返し思い出そうと思う。 僕はどんなに大事なことでも忘れてしまうから、 大事なものはここに記録しておく。 本当に人に恵まれているな、僕は。 コツコツと生活を改善させたい。 そのことだって、まだ諦めない。
障害について求めたい理解

230728_障害を抱える僕が人を好きになるということ_その②

前頁で、 発達障害を抱える僕は、 人並みのことをするのに人並み以上の労力がいる僕は、 人を好きになることを諦め、人を好きになることを自分に許さなかった、ことについて記録した。 いつか奇跡が起きて、 僕が人並み以上に仕事ができて、 人2人分以上に稼げるようになって、 人と打ち解けるコミュニケーションの技術を得て、 遊び楽しむ余裕を得たのなら、 その時に初めて人を好きになることを自分に許そうと考えていた。 そして、そんな奇跡は起きなかった。 そして多分、そんな奇跡はこれからも起きない。 奇跡は起きないままなのだろうけれど、 起きなくてもいいや、って思えるぐらい、 僕は今の至らない僕を至らないまま受け入れることができている。 どうして僕は今、そう思うことができているのか。 それはとても重要なことだと思うから記録をしておく。 記録をしないと僕は忘れてしまうから。 3ヶ月ほど前に僕は発達外来に行き発達障害の診断を受け、 それを機に僕はTwitterをはじめた。 Twitterで僕は、服薬した際の経過観察の記録や、コミュニケーション技術習得のための記録をはじめた。 そして、その記録を見て、反応をくれる人達がたくさんいてくれた。 そして反応をくれた人達の中に、自分に似た特性や困りを抱える人達がいることを知り、 その人達と話をすることで多くの気づきを得た。 彼らはみんな、自分のことを至らない、と話していた。 けれど僕から見たら彼らはみんな魅力的だった。 その魅力的な彼らが、僕が発達障害を抱えることを知りながら、 僕と関わり続けていてくれた。 楽しくお喋りができるようにすこしずつなり、 あれ?自分の至らなさを隠してないのに、まだ完璧になれてないのに、人と楽しく時間を過ごせてる、 そのことがとにかく不思議だった。 同じくADHDを抱える友人と、 お喋りをして、話が盛り上がり、その場の興味につられて話が脱線してしまっても、さっき何話してたか忘れちゃったね、ってみんなで笑いあって。 待ち合わせをしてご飯屋さんに向かう時に地図が読めなくて、迷子になりながら辿り着いて、すごい辿り着いたよ!って大げさにふざけて言って喜んで。 本当に億劫なシャワーを浴びてきた、洗濯したー、ご飯を炊いてみたー、って報告したら、めっちゃ偉いね!すごい!って褒めてくれて。 僕は僕の友人と話す上では、僕の特性は何にも困りにならないことが分かった。 僕は僕の友人と一緒にいる間は、彼らと僕の間に障害はない、なんの不自由もない。 そんな時間を初めて過ごした。 なるほどな、 僕は障害を抱えてないことを前提とした社会で生きることに苦しんでいるんだ、 ならばその間はすこし無理をして適応して、 また戻ってきて友だちとお喋りしながら休めばいいや、 そう思えた。 また、会社の方でも変化は起きてきた。 発達障害の診断を受けた翌週から、 コンサータやストラテラ、エビリファイの服薬をはじめ、それぞれの薬の量の調節をはじめた。 薬は飲みはじめがその副作用がつよいため、 量を調節する時期はなかなかにしんどく、会社を早退してしまうこともあった。 薬により脳内多動が和らぎ、自分の感情に気づきやすくなっていた頃から、 歯を食いしばり自分を押し殺し無理して動くことがありがたいことにできなくなり、 限界が来る手前で休むようにもなっていた。 早退したりだとか、昼休み中に仮眠を取るようになり、 明らかに疲れていたり、体を休める姿を会社の人に見せる場面が多くなり、 会社の人に何も言わないことが不自然な状況が生まれてきたため、 会社の人にも発達障害をプチカミングアウトをした。 よくしてくれる先輩(アニキ先輩)に、 発達障害でした!とは言わずに症状とその改善していく兆しがあることだけを伝えた。 生まれつき体の中のある成分が足りなくて、脳が無駄に動き続けて眠気や考えの整理がうまくできないことが分かって、でも薬で改善は見込めそうです。と伝えた。 アニキ先輩は、糖尿病の人でも薬は生涯飲み続けるから服薬も特別なことではないと思うし、服薬してよくなっていくならそれはよかった。 そう言ってくれた。 発達障害を自認した後にコミュニケーションを自分で学び、アニキ先輩とは関係をすこし築いた後のカミングアウトだったので、 職場のカミングアウトを機に仕事ができなくなるなんてことはなく、 特別な配慮もないけれど、 周りが僕のコミュニケーション能力の無さに寛容になってくれた。 僕は至らないことを隠しきれなかったのに、 むしろそれを伝えることによって会社の人は優しくなったから驚いた。 たまたま人にも恵まれていたのだと思う。 自分の発達障害を、自分の至らなさを、 知ってなお、 僕とお喋りを楽しみ、仕事を続けられるよう優しく接してくれる人達と出会い、 僕は段々と、自分に特別な才能なんていらないんじゃないか、 とそう思いはじめてきた。 彼らのおかげで僕は、僕はこの至らなさを抱えたまま、 生きていってもいいんじゃないかと思いはじめている。 そう思えたら、なんだか自分のこともすこし好きになれるようになってきた。 まだ完璧にはあまりに程遠いのに、 あまりに不完全なこの僕のまんま、生きていってもいいや、とそう思えている。 完璧な人間になり評価を得ることによって得られるはずだった自信や安心が、 不完全で至らなさのある人間であることを公表しそれでも人が僕から離れなかったことによって得ることができている。 自信や安心が、当初考えていた獲得の仕方とはむしろ逆のプロセスで得ることができていることが不思議でしょうがない。 不思議でしょうがないけれど、今僕はかつての僕よりも自信があり、安心感を得ている。 至らなさを隠さず表現すること。 その上で人から受け入れられること。 その過程がきっと僕には必要だったのだろうな。 そして改めて思う、 発達障害を隠して(クローズで)生きること、働くことの大変さについて。 自分の抱える最大の至らなさを人から隠し、 それを隠したまま人と関係を築けても、 きっと安心感は得られないんじゃないか、とそう思う。 どこかで、自分の発達障害が人や会社にバレたらこの関係は全て崩れるんじゃないか、 そんな不安を抱えて生き続けることになるんじゃないか。 だから、僕を含めクローズで生きて、働く発達障害を抱える人は、 苦しい思いをするんじゃないかな。 発達障害を隠さずに(オープンに)生きることで僕は自信と安心を得たから、 発達障害をオープンに生きることが許される社会の重要性を改めて感じることができた。 そして、 発達障害に対しての社会の無理解と、 オープンにすることの困難については僕も知っている。 僕がこれから何をするかとか、どうしたいかとかはまだ整理ができていないけど、 僕は発達障害を抱える当事者としてのこの記録は続けていこうとやはり思う。 僕は忘れてしまうし、 この記録を見て当事者の方が何かの気づきを得たり、 発達障害を知らない人が何かを考えてくれる きっかけになってもらえたら嬉しい。 そう切に思う。 最後の頁で、 僕は自分の至らなさを受け入れたことで、 改めて人を好きになったことについて記録しておこうと思う。 これは、これからのことだからまだ分からないこともあるとは思うのだけれど、 とても大事なことだからしっかりと残しておく。
障害について求めたい理解

230728_障害を抱える僕が人を好きになるということ_その①

「発達障害」を抱える僕にとって、 恋愛とはしてはいけないものだった。 緘黙症を抱え、楽しいお喋りもできず、 あらゆることに不器用で、お金も稼げていない、 そんな僕とのお付き合いを考えてくれる人も過去にいてくれはした。 僕はただひたすらに真面目だったから、 相手の話を聞くことだけはしっかりやろう、 そう努めていたから、誠実な人だとは思ってくれたのかもしれない。 自信のない僕はどうしても受け身になるし、 そんな僕に関わろうとしてくれるなんて、 そんなありがたいことなんてそうないことなのに、 僕は相手の時間をこんな僕が奪うことの申し訳なさに耐えられず、 いつも自分から身を引いてしまってきた。 それは結果的に相手に失礼なことだ、 そうは分かっているけれど耐えきれずに離れてきた。 なぜ僕は こんなに喋ることができないのか。 こんなにやりたいことの主張ができないのか。 こんなに仕事ができず稼げていないのか。 そうして悩み、僕はやがて自分が発達障害(ADHD+ASD)を抱えていることを29歳になって知り、そして生活の改善に努めようと意識しはじめる。 自分1人で生きるのならば、変わりたい、そうつよく思うことはなかったのだと思う。 自分1人で生きる、その決意が揺らぎ1人で生き抜くことを諦めた時に、僕は変わろうと、そう思えた。 もう29歳になる僕と会ってくれたその人は、 僕より遥かに稼ぎ、休みが多く、 毎月旅行に行き、毎日友だちとご飯に行き、会社の部活にも参加するような、 恐らく普通よりも遥かにアクティブで余裕のある人だった。 そんな人がどうして僕と会ってくれていたのか、 それは未だに分からない。 分からないけれど、自分が何も持っていない人間である、それだけはハッキリと、ずうっと分かっていた。 会う度に、時間を過ごす度に、 自分の足らなさと至らなさを知り、 苦しい時間を過ごしていた。 言うまでもないことだけれど、相手の方は何一つわるくない。 僕が勝手に自信のなさから自分を否定し続けていただけ。 相手は目の前で自己否定をし続ける僕を前にしても、離れようとはしないでいてくれた。 メンヘラなんだ僕は、と伝えたら、メンヘラなのは知ってるよ?と返ってきた。 うまく話せないんだ僕は、と伝えたら、私が話して私が楽しければ、気にしなくていいんじゃない?と返ってきた。 そこまでのことを言わせてしまった。 そこまでのことを言わせてしまったのに、 僕は自分から連絡を返すのをやめて離れてしまった。 本当に失礼なことをしてしまったと思っている。 その経験を経て、僕は人を好きになるのをやめよう、とそう決めた。 僕はASDを抱えているからか、 自分で決めたことはその感情すらも持たないようにすることができてしまうことがある。 高校の時に、大学受験に集中するため、 自分に今後一切の娯楽を禁じるというルールを設けてみたことがある。 漫画やゲームや娯楽に該当する全てを1日で全て捨てた。 すると、想像以上に忠実に守れてしまい、 29歳になる今までろくに遊べなかった経緯すらある。 (遊び楽しむ感覚はこれから取り戻したい大きなことの一つでもある。) そんな僕だから、好きになるのをやめる、 とそう決めたら想像以上に徹することができた。 徹することができてしまった。 女の子慣れしていない僕は、 女の子と話す時は必ずどこか緊張を覚えていたのに、 好きになるのをやめると決めてからは緊張せずに話せるようになった。 あまりに緊張をしなくなり、 そこまで徹することのできる自分に寂しさすら覚えた。 自分自身に自信がない人間は、 仕事をなす技術がない人間は、 お金を稼ぐ能力のない人間は、 遊ぶ余裕と経験のない人間は、 そんな僕には人を好きになる権利がない。 ましてや僕は発達障害を抱えている。 人一倍、当たり前のレベルに達することすらハードルが高く、 一人前のことすらこなせない僕が、 誰かとのこれからを考える権利なんてない、 そう考えていた。 だから僕は、 きっと誰が相手でも離れてしまっていたんだろう、とそう思う。 だからまずは自信をつけよう。 そう決めて仕事に打ち込み、 そしてADHDの注意欠陥から多くのミスを重ね、 ASDも併発している僕は相変わらず会社で打ち解けることもできず、 また自信を喪失していった。 何度も何度も消えてしまいたくなって、 部屋の隅にうずくまってひとりで泣いた。 つらかったな、あの日々は。 また同じ日々を今の僕が過ごして、 生き延びられる自信は僕にはない。 その経験を経て、 なるほど、自分が発達障害を抱えていると認め受け入れただけじゃ何も変わらないや。 人や薬の補助もなく1人で取り組み続けることには限界があるや、前に進めないや。 そう思い、発達外来に行くことに決めた。 あなたは発達障害です、とその日に僕は診断を受けた。 診断を受けたその場で僕は泣いた。 ありがとうございます、と先生に伝えた。 小5で鬱になり、そこから5つほどの精神科に通院し、いくつもの向精神薬を飲んでも効果が全くなく、 精神科に入院もして、 何度も僕は発達障害だと思うと自分で言っても認めてもらえず、 精神科の入院先に紹介状をもらい発達障害を専門にする大学病院になんとか辿りついたのに、 目を見たら分かる、あなたは発達障害じゃないよ、と診察時間は5分ももらえなかった。 名医のフリなんてするなよな。 生育歴も聞かずに日常の困りを本人から聞かずに、目を見て判断なんかできるはずがないだろ、 当事者の方から知識をもらった今の僕ならそう思うことができるけど、 「名医」に「発達障害なんかじゃない」と診断され、 そしてその診断を聞き喜ぶ両親の顔を見て、 僕は自分は発達障害であると認めるのを諦めた。 今思えば、あの出来事が僕の発達障害の診断を遅らせたんだ。 それから、 「発達障害なんかじゃない」僕は、 ただの、 「短期記憶の保たない、集中のできない、作業の整理ができない、コミュニケーションのとれない」僕になって、 発達障害だと診断されないことによって、 僕は僕をより追い詰めた。 なんで僕はこんなにできないんだ、駄目なんだ、 休んでる暇なんてない、遊んでる余裕なんてない、 もっと努力しなきゃ、変わらなきゃ、変わらなきゃって自己否定をし続けて生きてきた。 僕は消えてしまいたくなるくらいつらくって、 助けを求めて催眠療法にも自己啓発セミナーにもすがり騙されお金を取られた。 カウンセリングに今も通い続けている僕は今だって貯金はほぼない。 僕にとってはどこにも希望を見出せない絶望的な状況で、 そんな状況下で僕の主治医は僕を発達障害を抱え困りを抱えている人だと認めてくれた。 誰も助けようとしてくれなかった僕に、 主治医の先生は手を差し伸べてくれたように見えた。 本当に心から有り難いと思った。 心から有り難いと思ったから、 涙が出てきて、ありがとうございます、という声が出た。 もし僕が29歳のあの時に、あの子に会っていなければ、 僕は自分が同世代の人と比べて持っていないもの、足りていないものがあると気づけはしなかったと思う。 気づき、自分の発達障害を受け入れ、 それでも、 つらい経験を重ねてきた精神科には行く気がせず、 精神科で出される薬を飲むのは良くないことだという考えを刷り込まれてきた僕は、 発達外来に行く意味を感じずに独力でサプリメントとセルフ療育だけでどうにかしようと努めた。 そしてそれにも限界を感じ、発達外来に行き服薬をはじめ、僕の人生は遅ればせながらはじまりはじめた。 そうやって振り返るとさ、 僕がつよく変わりたい、と思ったのは、 人を好きになったことがきっかけなのかもしれない。 人を好きでい続けられなかったことがきっかけなのかもしれない。 迷惑をかけイヤな思いばかりをさせてしまった人に、 感謝の念を抱いている僕はなんだかエゴの塊のようだな。 でも、心からの感謝の念をどうしても抱いてしまうんだ。 そして最近、 コンサータやストラテラ、エビリファイを服薬し、 薬の量の調整を終えADHDの脳内多動が落ち着き、 仕事はすこしだけできるようになってきても、 それでもやはり会社の人と打ち解けられない不完全な自分は、やはりまだここにいる 不完全な自分はそのままなのだけれど、 不完全であることはそのままに、僕は僕を受け入れることができるようになってきている。 それについては次の頁にメモしておこうと思う。
会社での試行錯誤の記録

230727_向いてないデザインのお仕事を僕がなぜ続けているのか考えた

僕はデザインの仕事をさせてもらえているが、つらい。 関係業社が多すぎる それぞれが絡み合ったスケジュールが複雑すぎる。 ADHDという障害を抱える僕は、 自分の作業管理だけで手いっぱいなのに、 僕は関係業社のスケジュールや進捗の管理もする立場にある。 色んな仕事をしているクライアントや、業者や、年齢の異なる人達と会話をする。 ASDを併発している僕は社内の人と雑談するだけでも精一杯で、できてやしないのに。 時折り、なんでこんなに向いてない仕事を選び続けているんだろうと思う。 打合せがはじまれば僕主導で進めないといけない場合もある。 でも僕は経験がない。 経験がないだけでなく、忘れっぽく記憶のもたない僕は頭が真っ白になることがありパニックに陥る。 この仕事はつらい。 だけどなんで辞めたいと思わないのかをふと考えた。 デザインは理屈があるから好きなんだ。 なんとなくいい、ではなくて、全てに理由がある。 それがこの上なく気持ちがいい。 例えば、つくったデザインを印刷して人に見せる時、 印刷用紙は何をつかうの? 光沢紙?半光沢紙?つや消しマット紙? どれを使えばいいのかな? そんなこと一つにも然るべき理由がある。 なんとなく光沢紙がいいと思う。 真ん中の半光沢紙が無難でいいと思う。 そんな選び方はありえない。 今回はA1で印刷し写真を美しく見せるのがメインだから光沢紙を選ぶ。 今回はA3で印刷し、手元に取ってもらい見てもらうから光沢紙だと手触りが硬くわるいし、 写真と共に載せる図形も両方しっかり見てほしいから半光沢紙 写真はなく図形をメインに見せたいから、光沢により光が反射すると見づらくなるからつや消しマット紙を選ぶ そんな風に全てに然るべき理由がある。 然るべき理由がそこにあるのなら、 僕は理解ができるし説明ができる。 コミュニケーションが取れる。 曖昧な雑談よりも、明確な基準がある分遥かにコミュニケーションが取りやすい。 だから、僕はデザインが好きなんだよな。 会話が苦手でコミュニケーションの取れない僕が、 人と交流できる可能性をそこに感じるんだ。 向いてないのは百も承知。 無理して適応してつらくなってるんだからしょうがないや、 そう自分でも思うけれど、僕は僕のこの仕事を続けたい。 記憶が残らず経験も積みづらい僕だけれど、 だからこそひたすらメモをとり続ける。 メモに経験を蓄積させるよう、ひたすらメモを取る。 いつか無理が祟るかもしれないけれど、 それでもさ、だってやりたいんだもん。 僕ができる僅かなことの一つ、 言葉で理屈を説明しきる場がデザインにはあるんだ。 それが仕事になる夢みたいな環境に、みっともなくても惨めになってもい続けたい。 僕と同じタイミングでこの業界に入った友人は何人かいたけれど、残ったのは僕1人になっていた。 それだけこの業界の環境は厳しい。 障害がない人でも厳しい業界に、 僕は障害を抱えたままい続けられている。 働き続けるのは本当につらい。 なんで続けているのだろうと時に思う。 でも、理由はとてもシンプルなのだと思う。 憧れは簡単には捨てられない。
障害について求めたい理解

230727_自分は大したことがないと受け入れることについて

自分の無限の可能性を信じていた。 信じていたというより、 無限の可能性がそこにないのなら、 生きていく意味を失いかねなかった。 だから、生きていくには、 無限に可能性がそこにあると信じる必要があった。 緘黙症・失感情症・離人症を抱え、 誰の視界にも写らない透明人間だった僕が、 そんな僕の人生が、 変わるのかもしれない、 変えられるのかもしれない、 そう信じ続けるには、 僕には無限の可能性があると信じ続ける必要があった。 それだけ僕の今は常に絶望的だった。 それが最近、僕は大したことがないかもしれない、 そう受け入れることができつつある。 僕は大したことがない人間である、 そう思えることは案外絶望的なことではない。 ネガティブな、消極的な言葉のようだけれど、 きっとそれは僕のこれからについて僕が、 ポジティブに、積極的に考えることができているから、 受け入れることができているのだと思う。 そして僕がそれを受け入れられているのは、 人が僕の発達障害を知り、僕の至らなさを知り、 それでもなお関わろうとしてくれる人達のおかげなのだと思う。 世間の発達障害の理解は進んでいるとは言えず、 自身の発達障害をカミングアウトをすることは未だリスクの方が大きいのだけれど、 信頼関係を築き、これからも付き合っていきたい人に自身の発達障害をカミングアウトをする。 そしてその上で僕を受け入れてもらう。 そのことは僕が生きていく上で必要なプロセスだったように思う。 今僕は友だちにはカミングアウトをしていて、 会社でも、発達障害です!とは言わずに、 生まれつき体のある成分が足らず眠気や考えの整理が難しくなることがあるので薬を飲んでいる、 と原因と症状のみを伝えるプチカミングアウトをして、 以前と変わらず働かせていただいている。 どころか会社では配慮をいただくこともある。 その状況が、 僕に無限の可能性を持つ必要はないと思わせてくれているのかもしれない。 何者かにならずともいいんだ、今を楽しみ、休める余裕が持てたらそれでいいや、 とそう思わせてくれているのだと思う。 だから、僕はやはり、 発達障害をオープンにして暮らせる社会であってほしいな、と心から思う。 ここまで苦心してようやくカミングアウトをするような社会ではなく、 努力範囲を超えて何かができない人がいて、 生きるために補助が必要な人がいるんだ、ってことを多くの人に知ってほしい。 そうして初めてカミングアウトができるようになるんだと思う。 配慮をもらうためではなく、 理解をしてもらうためにはカミングアウトは必要だったんだ。 そして、理解は生きる上では必要なことだったんだ。 あったらいいな、そんなものではなくって、 理解がなければ人は生きていくのが難しい。 29年間生きてきて、 僕は初めて僕のことを理解した上で受け入れてくれた人と出会えた。 もうすこし早く、そうなれたらよかったな、 そう思ってしまう自分もやはりいる。 これからは、僕らの次の世代の子ども達は、 学生の時から理解され受け入れられてもらえるといいな。 僕が過ごせなかった学生生活を、 過ごせるような社会であってほしいな。 そう通勤の電車で思った。 なんでだろうな、会社に行くのが怖くないや。
会社での試行錯誤の記録

230718_会社の人に発達障害を知られているのでは、、、

会社の人が優しかった。 先週の金曜、製品の新作発表会に行く途中、 僕は頭がフラフラしてしまい早退をしてしまった。 今日、会社の人になんて説明しよう、 発達障害があって〜、なんてオープンにするわけにもいかない。 僕は思ったことをつい言ってしまうから、 うまい理由を言える気もせず出社が怖かった。 出社早々、 元アパレル業界にいたアパレル先輩が優しく心配してくれた。 体調はよくなった? と聞かれたから、えーと、はい。 と答えた。 心配してくれる優しい人にこんな内容でしか返せず落ち込む。 そしたらアパレル先輩が、 新作発表会の時のカタログだからよかったら見なよ、と カタログを机に置いてくれた。 ありがとうございます、とだけ返せた。 社長がすこし遅くに出社して、 おはようございます、と挨拶した。 すこし落ち着いてから、社長に、 金曜は早退してすみませんでした、 と伝えた。 もう大丈夫なの?と聞かれたので、 はい、と答えた。 どうしたの?と聞かれたので、 僕は何度も体調不良を重ねてしまっていたので、 持病の薬の調節をしていて体調が今は整わず、 でも良くなると思います、とそう伝えた。 社長は、そうか、わかった、とだけ言ってくれた。 その後いくつかの作業についての指示をくれたが、 メールで参考資料を送ってくれたり、指示が具体的で聞き取りやすかった。 完全にクローズでやり切るつもりだったけど、 すこしずつ限界が来ている僕には、 そして器用ではない僕には、 思ったことをつい言ってしまうウソが下手な僕が、 発達障害を隠し切ることは出来なさそうで、 いつか会社を追い出されてしまうかもしれない。 それまではただひたすらに誠実に真面目に仕事をする。 つまらなくて、協調性のない僕のままでいいから、 とにかく仕事は集中してやる。 そう、1人外でランチを食べながら思った。 できることはしっかりやる。 というか、やりたいんだ。 できないことが沢山ある僕だから、 できることは精一杯やりたい。 これからどうなるんだろう、僕は。 きっと会社の人は僕の発達障害を知っている。 辞めさせられるまでは働こう。 社会から弾かれてしまうまでは続けよう。
会社での試行錯誤の記録

230716_きっと存在しない、だけど僕の理想の働き方

僕にはどうしても改善ができない、 むずかしいことがある。 飲み会でうまく盛り上げることができない、むしろ盛り下げる。 カラオケでうまく歌うことができなくて、でも歌わないと気をつかわせてしまい。 そんなの大したことじゃないよ、 仕事というわけではないから無理しなくてもいいんだよ、 そういうアドバイスをよくもらうけれども、 職場の実際は、仲良くやれている社員同士が協力しあうし、 協力する味方の沢山いる社員に先輩社員は優しくなるし、 評価もされやすくなる。 だから、飲み会などの場で楽しい人になることは評価をもらうためにはかなり重要になる (それに楽しめるなら僕も心から楽しみたい。) だけど、ぼくにはそれができない。 話のスピードが早くついていけなくなってしまったり、 僕は記憶の困りも抱えているし、学生時には緘黙症と失感情症、離人症を抱えていたため、 学生時にこれが流行ったよねー、という会話には全くついていくことができないし、 疲労がしやすく20時頃には眠気がつよく余計に話が頭にはいらなくなる。 そんな僕は会社では、 自分の意見がない人、ノリがよくない人、楽しもうとしない人、そういう人になってしまう。 本当はそうなりたいのにそうはなれないんだ。 しないわけじゃなくって、できないんだ。 そう伝えたいけど、伝えられない。 僕は僕の発達障害を会社にオープンにするわけにはいかないから。 雑談は一切しない。 飲み会に行ったら話せない。 だけど、しないといけない作業や、 必要な報告連絡相談は必ずやる こういう人にならなんとかなれそうなんだけど、 きっとこういう働き方は許されないんだよね。 必要な作業や連絡をやれるようになれば、 一人前として認めてもらえる会社なんてあるのかな。 日中の雑談や、 飲み会やカラオケに評価が左右されない会社、 作業だけに集中することが許される会社ってあるのかな。 長く時間が経てば経つほど、 人と打ち解けられない僕は浮いてしまい、 段々と働きづらくなってしまう。 だけど、人と関わらないでもいい仕事なんてないもんな。 作業だけなら負けないのにな。
障害について求めたい理解

230709_発達障害が僕にくれた人のできないに対する寛容

昨日、トイレで手を洗ってたら、 隣で手を洗おうとしてる男性が自動水栓のやり方が分からずオロオロしてたのを見た 耳からの情報を受け取るのが難しい人なのか、 いつもと違う状況にパニックになってるか 僕は判断ができなかったから、 手を隣の自動水栓の近くに近づけて水を出してあげた その男性はこちらに一切目を合わせず、 ありがとーござます、と小さな声で言ったから、 僕は、いいえー、とだけ軽く言った 彼はこちらをちらっとだけ見てトイレを出て行った 僕自身に障害がなく、どうしたって苦手なことがある、ということの理解が持てていなかったら、 せっかくやってやったのに目ぐらい合わせろよ! って傲慢に思っていたのかもしれない。 でも僕は、目を合わせることの苦痛と困難を知っている。 もし僕が障害を持っていなかったら、 どんな風に相手にやり方を伝えてあげるのがいいの? 相手が目を合わせないのは失礼なんかじゃないかもしれない そんな風には考えることができなかったかもしれない その視点は僕の障害が僕にくれたものだ 障害よ、ありがとう そんな風には考えることができるほど僕の器は大きくない だけど相手が何かに苦手な素振りをした際に いやそんなこと普通できるだろ! なんて暴力的なことを言わないでいられるのはいいな
医師への相談内容と服薬の経過観察

230708_医師への相談内容_コンサータ54mgの感想_要約

⚫︎服薬している薬 ・コンサータ27mg+27mg ・エビリファイ1mg ⚫︎経過観察 □午前中の08時と11時にコンサータ27mgを飲んでいる ・14時頃に2粒目のコンサータを飲むと19時頃にコンサータが切れるため帰ってからも時間ができて洗濯や食事の準備ができるが、 17時頃にはコンサータの切れ目を感じるため家に着くころには家事をする体力が残っていない。 ・コンサータは午前中に飲み切る必要のある薬(遅い時間に飲むと睡眠の質を下げるため)とお聞きしたので、コンサータを飲む時間を調整することで、 動ける時間を調整することに限界を感じている。 ・仕事柄、毎日20時頃までは働くため、現在の薬の飲み方では夕方頃から脳内多動がはじまるからか頭のモヤがつよくなり仕事がうまくできなくなる ・朝のはじめの27mgを飲んでるときは頭のモヤがあまり晴れず11時頃につよい眠気がくるため午前中は仕事にならない ・そのため、効果の切れ目のないストラテラをやはり今後試していきたいと考えている。 □頭痛について ・コンサータ服薬前からずっとあった頭痛が気づけばコンサータを飲む前の寝起きから無くなっていた。日中の脳内多動の時間が減ったからかもしれない。 □感覚過敏?について ・コンサータが効いている時にスーパーの総菜コーナーなどの白いつよい光にいるとくらくらして疲れることに気がついた。 情報量の多さもある買い物はとてもしんどい。 ●質問 □コンサータは休薬日を取らないと体が慣れて効かなくなると聞きました。休薬日は必要なのでしょうか。 外に出る予定がない日に試しに飲まないでみたら思うように動けずごろごろしてしまい、頭のモヤも重く頭痛がしました。翌日コンサータを飲んだ時にもひどい頭痛がしました。 □エビリファイが光の過敏に効くと聞きましたが、増量することで光の過敏は和らぎますでしょうか。 □朝の頭のモヤがつよく午前中に仕事にならないので、今週はコンサータ36mg+27mgを試してみたいです。 その次週にストラテラを試していき、もし脳内多動が抑えられていったらその時にコンサータを27mg+27mgに減量するなどは可能でしょうか。 まずは目の前の仕事をこなせなくなる状態を回避したいです。
医師への相談内容と服薬の経過観察

医師への相談内容_コンサータ45mgの感想_230701_要約

⚫︎服薬している薬 ・コンサータ27mg+18mg ・エビリファイ1mg ⚫︎経過観察 飲むタイミングを分けて試してみました □ 朝8時:27mg+昼14時:18mg ・朝飲む量が36mg→27mgになったため頭のモヤがあまり晴れない ・脳内多動がひどく言葉があふれてくる ・17時くらいには頭のスッキリ具合がマシになってきた ・19:30までは眠気なし □ 朝8時:27mg+昼13時:18mg ・頭のモヤの晴れ具合が心許ない ・16:30が頭スッキリ具合のピーク ・19:30くらいまでなら眠気なく保つことができた □ 朝8時:27mg+朝9時:18mg ・午前中に重要な会議があったため2粒目も早めに飲む ・午前中は効いてきたけど午後は眠気との格闘に終始してしまい仕事は進まなかった □ 朝8時:27mg+朝10時:18mg ・朝起きた時の頭のモヤはかなり軽くなってきてる ・コンサータが効いてない時にも頭のモヤが小さいのは、日中の脳内多動が治る時間が伸びたからかな ・18時頃に明らかな切れ目が来て、19時には会社で10分ほど寝てしまった。先輩に指摘された。 ・自分は効く時間が短いため、2粒目は14時に飲むのが生活はしやすい感じがする □ 朝8時:27mg+昼13時:13mg ・寝起きで視界の間接視野がかなりぼやけている、頭のモヤはすこしつよめ ストラテラ飲んだら寝起きとかも効いてくれてこの朝のだるさ、やる気のなさもすこしは改善するのかな。 ・18:00には明らかに効果が切れる感覚があり19時にはかなりの疲れ?動きたくないー、て感覚になり帰ってから寝転んでしまう。 これがコンサータで言われる切れ目、とか反動って言われるやつかな。 ●気づき・質問 □コンサータは、朝の9時に36mg、昼の14時に18mgを飲むことを試してみたい
薬に関する試行錯誤の記録

230703_コンサータの休薬日を僕がとるべきがどうかを考えた

コンサータを飲み続けると段々と効かなくなるのでは、という説がある。 必要だと言う人もいるし、効かなくなるなんてことはないと言う人もいる。 抜かないで1ヶ月くらいは効果が効かなくなってくるだとかは僕は体感をしてないんだよなー、と思い、試しにコンサータ休薬日をとってみた。 そしたら思いのほかやる気が起きなくって、一日中ごろごろしてしまい、ちょっとした自己嫌悪に陥ってしまった。 コンサータの休薬日については、 医師の相談の上、とっている人もいるから体質とか副作用の程度にもよるのかもしれないけど、 僕には休薬日は不要なんじゃないかな、という見立てを今は立てている。 ・依存に繋がるかどうか? についてはそもそも毎日定量を飲んでいるので関係がない? 障害がない人が、 ドーピングとして使用してしまうと、ついつい常用化してしまい「依存する」という話が一人歩きしたのかな?と考えている。 ・効かなくなる、という人の多くが、休薬日に動きづらくなることから、抜く前日にもコンサータは十分効いてはいたんだろうな、とは考えられる。 1日抜いた後に、 コンサータを飲むことで、動けなかった前日と比べると大きく動けるようになり、効果が戻ったような感じる、という説もある。 けれど薬自体の効きが悪くなる可能性も十分ある。 薬に体が慣れてドーパミンの再取り込みの防止する効果?が薄まれば、 薬の耐性がつき効果が薄まるという話も分からなくはないし。 僕の場合は休薬日を取ると、摂取するコンサータ量の差が大きくなるからか、 つよい頭痛が出るようになった。 効きが悪くなることはまだ体感してはないし、 僕の場合、僕の体で休薬日を取ることのメリットは感じてはいない。 だから、ここはもう自分の体で試すしかないな。 と考えると、 ・コンサータの効果がよわくなった、と感じるまで休薬日を取らない。 ・効かなくなる可能性を考え、コンサータの摂取量の上限に余裕を見ておく(1日72mgまで摂れるけど54gで止める) ・朝の頭のモヤのつよさストラテラの併用により改善を期待する。 この方針が自分には良さそうかな。 でも、今は休薬日をとることのメリットは感じていないけれど、 当事者の方の話を聞いててよかったのは、 予めこの日はごろごろするぞー、って決めておいた日を休薬日にすることで、一日何もしなかったなー、という後悔はしなくて済むかもしれないし、 コンサータの副作用がつよい人にはありなのかもなー、とも思った。
会社での試行錯誤の記録

230705_仕事の量を抱えこまずに社長に相談して減らせた話

今日は仕事をギリギリまで抱えこまず、 仕事の量を探り、先輩に相談し、社長に状況を説明して、 仕事の量を減らすことに成功した。 デザインの仕事は関係業者が多く、 各業者への連絡や進捗確認もこちらで行う。 そのためどこからどこまでがうちの業務範囲かが時に曖昧になる。 曖昧になったことにより、うちの業務範囲外の見積りチェック等の作業が僕に流れ込んだが、 社長は当初は、まあやってあげたら? という感じで流していた。 こちらの苦労も知らず軽く言うなー!と初めは思ったが、 こちらの苦労を知らないなら伝えてみるか、と思い立ち状況を整理して、 社長に伝えた。 そしたら、なるほど、そしたら断るか、とすぐ理解してくれた。 こちらの説明次第でことはうまく運ぶと知った。 作業が多くて大変だから、業務範囲外のことはさせないでください、というのが本音だったが、 それではただの怠惰に写るため、 あくまでそれぞれにとってその方がメリットがある、という体で伝えた。 まずクライアントには、 僕が取りまとめ業務が円滑に進むならば、と思い作業を請け負いましたが、 いざはじめると、見積りのチェックなど弊社では責任を取ることのできない、 業務範囲外のことが含まれてしまうことが分かり、 やりたい気持ちはあるが責任が取れない範囲の作業を行うことは立場上できないことを説明しご理解いただいた。 やりたくない! のではなく、 責任を持って仕事がしたいからこそ、 責任が取れない部分の仕事は請け負えないという説明に変えた。 そして社長には、業務範囲外の作業をすることで、うちに報酬はないのに責任のみが生じてしまいうことになる、 と、 会社の金銭的な損失に繋がりかねないからやめた方がいい、と伝えた。 すると社長も、それならやめた方がいいな、と理解してもらえた。 伝える相手がどんな立場や価値観で動いてるかを整理して それぞれに適した「理由」をこちらから示すことで 僕にとって都合のいい状況に変えることができた 今までは仕事が多くなったら単に仕事時間を増やしていたが こういう工夫も働く上では必要だったんだな 今更僕はこんなことを学んでいるのか。。。 僕は、 思ったことをそのまま伝えたり、 自分が大変な思いをするだけならば大変な思いをすればいいや、 とそう考えて生きてきた。 ウソは相変わらず下手だから言う必要は未だにないけど、 事実を相手に合わせてどう伝えるかの工夫は重要であると学んだ。 ウソは言わずに伝え方や重点を変えるイメージ。
医師への相談内容と服薬の経過観察

230703_愛嬌はキャラクターではなくて技術、と学んだ

働く上で僕が覚えて最上レベルでよかったのは「愛嬌」かなー これ、キャラクターかと思ってたけど案外技術。 僕はよく、なんで僕のミスはしっかり怒られるのに、 あの子のミスは許されるんだろう、と疑問に思うことがよくあった。 時には僕より大きなミスをしたのに場は和んでいて、ずるい!とすら思った。 例えば、 小さなミスをしてしまった時、僕は本気で心から謝っていた。 すると不思議なことに、 小さなミスだったはずなのに、 相手は大きなミスだと感じはじめてしっかり怒られる、 そんなことがよくあった。 それが最近はない。 次のことを意識したからだと思う。 ミスをした時に、それがどれだけ大きなミスかを瞬時に考える ・大きな金額的な損害に繋がる? ・他の人の作業時間を奪う? などなど そして瞬時に考えて、大きなミスではない場合、 例えば ・金額的な会社の損失がない ・自分が長い時間働けば自分で挽回できる内容 の場合など、 大きなミスではないのに真剣に謝りすぎると相手も真剣に対応するしかなくなり、 怒るしかなくなる、 こういう場面は仕事だと案外多い。 そして、僕はこのミスが大きなものではないと判断した後に、 決まりがわるそうな、 恥ずかしそうな、 申し訳なさそうな、顔をしつつ笑う。 ↑ この顔は鏡見てめっちゃ練習した。 その顔をしながら、 あれー?笑 いやー、ほんと僕だめですねー。笑 これを言うと、小さなミスは小さなミスとして扱ってもらえる。 ミスを無くすのがもちろんなんだけど、 それはいきなりは難しいから、 それを許してもらえる関係をつくることが大事になる。 それに必要なのがコミュニケーションの技術なのかな、と。 ASD傾向のある僕は仕事中の雑談や表情を変えたりすることのコミュニケーションに意味を見出せずうまくできなかったが、 利点や必要性を知ると前向きに習得できた。 汎用性のある技術じゃないけど、 僕はこれを頭で考えて実践したら働きやすくなった。
医師への相談内容と服薬の経過観察

230630_職場で発達障害をプチカミングアウトをした時に気をつけたこと

プチカミングアウト!とは言ってみたけれど、 元々はカミングアウトはするつもりがなかった。 先輩が、 今まではデザインの勉強がすすんでるー?と聞いてくれるたびに、 いやー、とにやけながら言って勉強をする余裕がないことを誤魔化してきた。 優しく面倒を見てくれる先輩にウソを言いつづけるのがどうしてもイヤで、特性の一部を半分は勢いで先輩に打ち明けたんだ。 でも、なんの理由もなく勢いで話したわけでもなく、 僕がプチカミングアウトしようと思ったのは、 カミングアウトしても問題ないかなー、と思える状況が整っていたからかな。 ・服薬により特性が抑えられ仕事ができるようになりはじめていたこと。 ・社長や周りからも仕事の評価をされはじめてきたこと。 ・コンサータが効いてる間に目が合わせやすくなり、雑談や自然なリアクションができ周りの社員とも打ち解けはじめてきたこと。 これらの状況が整っていたから、もしかしたら信頼できる先輩になら、 ちっちゃくカミングアウトしてもいいかも、とそう思った。 基本的に発達障害を公開せず働いている人が発達障害をカミングアウトすることはデメリットの方が現状は大きいと思う。 それでも、ひた隠しにしないといけない、その状況が続くことの苦しさを僕は知っているから、この内容を共有いたしました。 僕が発達障害について知識を得て、当事者の方と話をしたこの2か月間で学んだことは、 発達障害だからできないことがあるんだ!配慮して! といきなり言ってしまうと、失敗することが多い、ということ。 発達障害を抱えている人は、 発達障害の特性やそれにより生じる困りの理解がまずできないし、 関係性もできてない人にいきなり配慮を求められても、 いやなんで一方的に配慮してやらないといけないの?としか思われない。 だから、発達障害!というワードは使わずに、 発達障害のメカニズムや困りの話をメインにした。 発達障害という言葉に対する世間のイメージは残念ながら現状よくないから、 障害という言葉を使わずに、 どういう原因で、どういう困りが生じて、それは服薬に改善する! ということだけを先輩には伝えた。 そして、説明をする際に発達障害って言葉を使わなかったり、 体の何かの成分が足りないだけ、とあえて軽めに表現してみたり、 発達障害だから自分はこの作業ができない、などとネガティヴなイメージ話さなかったりは話さなかったり、 発達障害だと判明し、服薬し、なんだかこいつ最近仕事ができてきたな、というプラスのイメージを持たれている時に伝えたり、 自分で調整していくだけなので今までと変わりなく接してくださいと伝わるようにしたり、 そこまで重いことじゃないんだよ、そして服薬することでこれからより仕事ができるようになりますから、そう伝わるように気をつけた。 それによって得られるメリットは、そうあるわけではないと思う。 つい寝てしまうことが許されるわけではきっとない。 ケアレスミスを、しょうがないね、と言ってもらえるわけではきっとない。 それでも、僕の抱える障害を、困難を、信頼してくれる人が知ってくれるだけですこし救われる それだけでカミングアウトした意味は僕にはあるんだ。 丁寧にプチカミングアウトして今は後悔はない。