230426_失感情症はきっと改善する、僕なりの根拠
昨日は職場での会話が楽しかったはずで、
でも今は、その気持ちも朝は思い出せず。。。
母にそのことを相談すると、昨日の感情の記録を読み返して見たら?
と言われ、読み返してみると、確かに楽しかったことと嬉しかった感情を思い出す。
なぜなのだろう、感情が感じ取れない、
自分の感情が遠い感じがする。
近くに感じる日もあれば、
遠くに感じる日もあって、
遠くに感じる日は、
今までつけてきた感情の記録を読み直す、
ことにしてみる。
感情とその時のエピソードを追体験して、
どんな影響があるか、ひとまず試してみる。
僕の特性は
「感情を感じることができない」ではなく
「感情の学習に時間がかかる」といったものかもしれない
丁寧に学習した結果、感じ取れるようになるかもしれない。
そう信じてはじめてみることにした。
なぜそう信じることができるのか、
それには一応の根拠が、僕なりにはある。
僕は大学生の頃まで、感情だけでなく、
暑いや寒い、痛いの感覚すらを感じることが難しかった。
電車の中で汗をダラダラかいてて、
周りにいた人から、上着脱げば?と言われたり、
寒いのに半袖で過ごしてて、
寒くないの?と聞かれて分からず、え?と返してた。
それぐらいに暑さや寒さの感覚がなかった。
そのことをカウンセラーさんに相談をすると、
感覚が遠い、その原因は、感覚に名前をつけられていないから、
なのかもしれないよ、と、そういう見立てをもらった。
人は、名前をつけることでより細やかな認識をすることができる、
そういう内容をいつかどこかの本で、確かに見たことがあるなー、と思い出した。
例えば、「緑」という言葉を持たない民族は、「緑」色を認識することができず、青色も緑色も「青」色だと認識してしまうけれど、
日本のように青色に色んな名前をつける文化の元で育つと、
「水色」や「藍色」など、多種の青色の中にある細やかな差も感じることができるようになる、という内容だったかと思う。
カウンセラーさんによれば、
僕は小学生の高学年の頃から緘黙症を抱えていたから、
自分が暑いと感じた時に、「暑いねー」と人に話をしたり、
自分が寒いと感じた時に、「寒いねー」と人に話をしたり、
そういう経験をしていないため、自分の感覚に名前をつけることができていいない、
その可能性があるんじゃないか、そう指摘をしてくれた。
その指摘をもらってから、
汗をかいて、恐らく暑いのだろう、と感じた時に、「暑いなー」と自分に言い聞かせる。
薄着で体が震えた時に、「寒いなー」と自分に言い聞かせる。
そうしたことを1年間、毎日毎日やり続けることで、
今は意識をしなくても、暑さや寒さを感じることができるようになっている。
痛みの鈍感さについても同様に、痛みと思われる感覚を覚えた時に、「痛いなー」と自分に言い聞かせることで、この感覚が「痛み」だ、自分に覚えさせていき、まだ痛みには鈍感ながらも感じることができるようになっている
全く感じることのできなかった暑さや寒さ、痛みの感覚を「後天的」に「学習」した僕は、
感情の感じづらさも「後天的」に「学習」できるのではないか、とそう信じている。
感覚に言葉を当てはめていく作業を、
感情に対してはやってこなかったので、
まだ感情を感じづらいのかもしれないな、とそう思った。
感情ややりたいこと、楽しいことも感じることができるようになるのかな、
そうなったら嬉しいし、信じないと僕は動けなくなるから、まず、信じてみることにする。
そうして、感情のタグ付けを続けている。
最近、自分の感情にすこし気づきはじめたからか、
相手が何を思ってるのか無意識に推測するようにもなっている気がする。
そして、そのズレも少なくなったように思う。
今までは自分の感情から類推、という手がかりすらもなく
当てずっぽうで相手の感情を当てに行ってたんだろうな、きっと。
そして、冗談もすこしは言えるようになった。
前はおもしろいことを言おうとして、周りをキョトンとさせていたりしたのたけれど、
最近は冗談を言ったら会社の人が笑ってくれる、
という経験をした。
そんな風にスムーズに、意図とズレてない反応もらったことは、今までなかったからとても驚いた。
そんな経験があったから、
自分の感情を掴むことは、
相手の感情を推測する材料になるのかもな、と最近思う
感情にタグ付けをしていくと、
あまり何も考えずに、冗談を言える場面もできてきている
「発達障害」だから「できない」のではなく、
「僕」は「この作業」の「学習に時間がかかる」と考えた方がまだ期待を持って動ける
今まで僕は、
自分の感情に気づかないまま人と会う機会ばかり増やして、
自分で自分に気づけないから当然自己表現もうまくできず、
人からも、主張がない自分がないやつだ、と思われて、
その失敗体験を重ねてきたのだと思う。
だからまずは人のことは置いておいて、
内省して自分の感情を自分の言葉で整理する。
話す技術とか表現は後回しで、まずは自分を理解する
そうすると、
相手のことも自然と興味が持てたり、
相手もそういう気持ちなのかも?と自分の感情を根拠に類推するので、
大きなハズレは無くなってくるのだと思う。
そのためにもまずは、自分の感情を理解しよう。
だからこそ僕はまず、感情は学習できるのだと信じよう。
感覚を学習できた僕なのだから、きっと感情も学習できる。